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映画『ノースマン 導かれし復讐者』感想 エンタメにもアートにも振り切れなかった大作

 良くない意味で、ロバート・エガース監督らしくない大作。映画『ノースマン 導かれし復讐者』感想です。

 9世紀、スカンジナビア諸島のとある島国。10歳のアムレート王子(オスカー・ノヴァク)は、遠征から帰還した父王のオーヴァンディル(イーサン・ホーク)と共に成人の儀式を執り行っていた。だが、その儀式直後に叔父のフィヨルニル(クレス・バング)がオーヴァンディルを殺害し、王の地位と王妃グートルン(ニコール・キッドマン)を奪ってしまう。追手から逃れ、独りで舟を漕ぎ脱出したアムレートは、父の復讐と母の救出を誓う。
 数年後、アムレート(アレクサンダー・スカルスガルド)は東ヨーロッパ地域で略奪を繰り返すヴァイキング戦士に成長していた。ある夜、スラブ族の預言者(ビョーク)の言葉で、再び復讐の炎を滾らせたアムレートは、フィヨルニルが国を追われ、アイスランドの領地で暮らしていることを知る。アムレートは自ら奴隷の焼き印を胸に刻み、フィヨルニルの元へ向かう奴隷船に忍び込む…という物語。

 『ウィッチ』『ライトハウス』で知られるロバート・エガース監督による最新作。北欧ヴァイキングを描いた作品ということで、同じくヴァイキングを描いた幸村誠さんの漫画『ヴィンランド・サガ』を愛読している身としては観ておきたい作品でした。
 
 前作の『ライトハウス』が非常に陰鬱なアート作品だったため、ただの復讐アクション時代物とはならないだろうと予想していましたが、やはり痛快さとは程遠く、ヴァイキングの暴力性を描いた作品となっています。
 このヴァイキングという戦士集団というものは非常に野蛮で、中世騎士のような精神性は皆無であり、作中でも敵側に勝利した後は戦士と村人関係なしに略奪、虐殺の限りを尽くす姿が描かれています。これは『ヴィンランド・サガ』でも描かれていましたが、ヴァイキングがとにかく戦うことをアイデンティティとしており、戦場で死ねば、死後は戦の神オーディンの「ヴァルハラ」と呼ばれる館へ召されるという神話思想があるためか、現世の行いはかなり刹那的で野蛮なものになっていた描写のようです。
 
 これは主人公であるアムレートにしても例外ではなく、国を追われたいたいけな亡国の王子というシチュエーションもそこそこに、野獣のような男になってしまった姿が描かれています。この時点で、アムレートに同情や共感をさせないようにしているようにも思えました。
 
 ロバート・エガース監督らしい演出と感じたのは、トリップ感に溺れている男たちを描いているという点ですね。『ライトハウス』では灯台守という閉鎖した職場の中で、酒に溺れてハイとロウを繰り返す男2人を描いておりましたが、今作もそのトリップしているような空気を感じさせる部分があります。
 序盤のアムレートの成人の儀は確実に獣憑きのような状態になっているし、戦場でヴァイキングが見せる異常なテンションもそこに繋がっていきます。運命で導かれていくかのように、復讐の道筋を手に入れていくのは、アムレートが復讐に取り憑かれてトリップしているから見ている幻覚なのかもしれません。
 
 ただ、ここまできちんと暴力を野蛮なもの、醜いものとして描いておきながら、終盤に至っても、物語そのものは暴力の否定に繋がるような描き方はしていないんですよね。ここがあまりしっくりこない点でした。
 もちろん、ヴァイキング戦士を描くとするなら、復讐心を捨てないアムレートの生き方はリアルなものなのでしょうが、現代の映画作品として創るのであれば、個人的にそこは否定して欲しかったんですよね。
 先述の漫画作品『ヴィンランド・サガ』が長い巻数をかけて、きちんと暴力を捨てる生き方を提示し続けているのを読んでいるのもあり、どうしても比較してしまいました。
 
 とはいえ、現代的な要素も随所にはあります。この時代では注目されない存在だったはずの女性を描く要素もその一つだと思います。とりわけ、アムレートの母であるグートルンを演じたニコール・キッドマンはかなりの名演でした。まさに裏切りの豹変という顔で、「女の意思」を表示する名演だと思います。
 一方で、それとは別角度としての女性であるオルガを演じたアニャ・テイラー・ジョイは、やはり雰囲気と演技は一級であるものの、役割としては従来の女性の位置に留まるのみで、存在感が薄れていたようにも思えます。それこそ、この人が戦士の暴力性を否定する要素を持っていたはずだと思うんですけど、その役割を果たさず、アムレートを癒すだけの存在になってしまっていました。
 
 ちょい役ですが、ウィレム・デフォーとビョークの怪演も見所ですね。ビョークは、ほぼ顔が見えないにも関わらず、その声の説得力には凄まじいものがありました。ウィレム・デフォーの道化振り、骸骨になってもなお、ウィレム・デフォーの面構えで声が聞こえるという存在感も強烈です。だからこそ、もうちょい出番が欲しかったところですが。
 
 ロバート・エガースの作品でも大作の部類に入る作品ですが、大作故に物語をきちんとまとめた着地にしようとしてしまった感じを受けます。命を繋ぐとかの人道的なメッセージを感じさせる結末ですが、散々暴力をまき散らした上で、そんなことを言われても説得力に欠けますよね。
 物語を丸く収める結末が、監督の作品性とかち合って逆に破綻しているように思えるんですよね。この監督の作品なら、破綻を恐れずにやらせた方が、きちんと着地するようにも思えます。
 
 比較して語るのは良くないのですが、きちんと暴力の否定までを描いている『ヴィンランド・サガ』を読んでいるので、どうしても見劣りしてしまう作品でした。いっそエンタメ時代物に振り切った方が楽しめた作品だったかもしれません。


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