見出し画像

映画『ライトハウス』感想 屹立する支配欲


 観終わると、潮風と波でべったり湿っているような陰鬱な気持ちになれます。映画『ライトハウス』感想です。

 孤島にやって来た2人の灯台守。年配でベテランのトーマス・ウェイク(ウィレム・デフォー)は、勝手に仕事を割り振り、新人のイーフレイム・ウィンズロー(ロバート・パティンソン)が重労働ばかりを課せられる。普段の振る舞いもガサツで品性のないトーマスに、ウィンズローは不満を募らせるが、灯台守の期間である4週間の辛抱と、真面目に仕事をこなしていく。迎えの船が来る前夜、初めて祝いの酒を酌み交わす2人はついに打ち解けたかに見えたが、海は嵐に襲われ迎えが来ない状況となっていた…という物語。

画像1


 『ウィッチ』で知られているロバート・エガースによる監督作品。配給はまたもやA24が手掛けているとのこと、さらに顔の皺の数だけ人生を経験していそうな演技力を持つウィレム・デフォーが出演であればと、ある程度の信用を心に置いて観てまいりました。

 全編モノクロという画面で、いかにも古いクラシック映画であるかのような演出になっていますが、内容自体もすごく昔のホラー名画を観ているような気持ちになります。
 物語は、この主人公2人しか出て来ず、孤島にある灯台という密室的な空間の中で、段々と常軌を逸していくという、極々シンプルな構造ですね。一応、エドガー・アラン・ポーの未完の小説を下敷きにしているとか、実際に2人の灯台守の身に起きた実話を基にしているとか、元ネタがあるそうです。
 個人的には、この構造に安部公房の『砂の女』を想起させられました。ジメっとした湿り気のある狂気描写は、海外のホラーというよりは、昭和邦画の文学ホラーに近い感触があります。

 物語はシンプルですが、画面上のメタファー的演出はとても複雑で、色んな考察が出来そうな作りになっています。度々、夢とも現実ともつかない映像が差し込まれて、観客はウィンズローが狂気を帯びていくのと同期させられていく仕掛けになっていきます。

 一番大きい象徴は、やはり「灯台」だと思います。トーマスが自分の場所として譲ろうとしない最上部のランタンルームは、「支配欲」の象徴ですよね。何かがあるように、ミステリーとして引きつけていますが、何があったのかはさほど問題ではないと思います。そして灯台そのものも、ウィンズローの自慰行為の場面と重ねているので、「男根」の象徴でもあるんだと思います。

 つまりは、この古い時代の男性性による支配欲のマッチョイズムがテーマにあるのだと解釈しました。酒を強要したりするのも、仲が悪いくせに酒呑めば「オールOK!」なノリも、いかにも男性社会の感覚ですよね(飲酒シーンでは、役者2人とも実際にズブズブになるまで呑んでいるそうです…)。

 ウィンズローの過去も、支配されて抑圧された状況が生み出したものだし、ラストもその抑圧から抜け出そうとして、逆に支配欲に囚われた悲劇のように感じます。
 その他も、美術作品や神話など、様々なオマージュが画面に仕掛けられているそうですね。公式HPで解説されていて、かなり読み応えがありました。

 それ以外にも、一般の方の考察で見かけたのが、「トーマスとウィンズローが同一人物」という解釈で、これには膝を打つ思いで納得してしまいました。そう考えると、この怪奇スリラー的雰囲気が、一気に矮小化されて滑稽なブラックコメディに変化するんですよね。

 画面以外の仕掛けも秀逸で、音楽というか音響部分の仕事もかなり効果的ですね。劇伴のリズムに近い感覚で鳴らされる汽笛の重低音が、本当に神経に障る音で、この音が鳴っている間(つまり映画が終わるまで)、ずっと狂気の世界に閉じ込められている気持ちになります。
 そして、ラストでの絶叫シーン、人間の絶叫を歪ませて、灰野敬二の音楽みたいな完全ノイズにしているのが、滅茶苦茶カッコよく感じてしまいました。

 それにしても、ウィレム・デフォーもロバート・パティンソンも、怪演というか何というか、どういう精神状態で演じたのだろうと恐ろしくなる演技なんですよね。人ならざる者だけが発する空気が確実にありました。

 古い男性感覚を滑稽と切り捨てている物語だと思いますが、女性を出さずにそれをやってのけるというのもクールですよね。ただ、新しく正しい男性感覚とはどんなものか、支配欲に囚われない「男根」の役割を考えていかなければならないと考えさせられました。


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?