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映画『正欲』感想 孤独を抱える全ての人へ

 少数の人々だけでなく、誰にでもある孤独についての作品だと思います。映画『正欲』感想です。

 広島でショッピングモールの契約社員として働く桐生夏生(新垣結衣)。同級生の結婚式への誘いを受けた時、中学の頃に転校していった佐々木佳道(磯村勇斗)が地元に戻っていることを知る。夏生と佳道は、共通の秘密を抱えていることをお互いに知っていた。
 男性恐怖症である大学生の神戸八重子(東野絢香)は、学祭実行委員としてダンスサークルに出演を依頼したときに、サークルに所属する諸橋大也(佐藤寛太)と出会う。準ミスターに選ばれたほどのルックスを持つ大也だが、なぜか八重子は大也に対しては恐怖心を抱かずに接することが出来た。しかし、当の大也は誰とも打ち解けようとせずに孤立していた。
 横浜で暮らす寺井啓喜(稲垣吾郎)は、息子の泰希(潤浩)が不登校気味となり、教育方針で妻の由美(山田真歩)と衝突を繰り返す。検事である啓喜にとって、社会からはみ出る生き方は理解出来ないものだった。寺井は、過去の犯罪事例を調べた際に、蛇口から噴出する「水」に固執する男が起こした事件を知る…という物語。

 朝井リョウによる同名小説を原作として、『あゝ、荒野』『前科者』で知られる岸善幸が監督を務めた作品。原作は未読ですが、柴田錬三郎賞を受賞するなど、高い評価を得ているそうです。その割にはあらすじが耳に入ってこないのが逆に印象的だったんですけど、この映画も前評判は高いものの、何を描いた作品なのかという情報は入ってきておらず、ミステリアスな感覚に惹かれて観ることにしました。
 
 朝井リョウ小説作品の特徴でもある「群像劇」というスタイルを、今作でも踏襲しているものであり、各主人公に共通している点が、フェティシズムというものにある物語になっています。
 ただ、フェチといっても「性愛」とはちょっと違うものであり、作中では「水フェチ」とされているように、人間に性的な興味を抱けず、噴出する水に興奮や執着を感じる人々が描かれています。昨今、LGBTQのような性的マイノリティを扱った作品は、もはやスタンダードなジャンルといえるほど増加していますが、そのどこにも当てはまらない究極のマイノリティを描いた作品といえます。今までのフェチを描いたものって、差別的ではなくとも笑える要素にしてマイルドにしていましたが、今作はド直球にシリアスな描き方にしているのが画期的だと思います。
 
 まず、冒頭で夏生が1人回転寿司を食べるシーンで、傑作という印象を決定づけられてしまいました。ここの新垣結衣さんの演技が、「死んだ目」という言葉そのものであり、一発でこの女性が人生を謳歌していないことを観客に伝えてくれています。俗な言い方になりますが、性別問わず好感度が高く、トップ人気を誇る新垣結衣さんが、そのオーラを一切纏わずに、ここまで負の空気だけを排出できるのかと驚かされました。間違いなく新垣結衣さんのキャリアハイを叩き出した名演だと思います。
 
 夏生や佳道が抱える孤独感というのは、何も性的な部分を他人と共有出来ないという部分だけでなく、誰もが抱える可能性のある孤独感なんですよね。この世で独りと感じている恐怖、不安は、何かしらのマイノリティに関わらず、誰もが味わう可能性のあるものだと思います。その絶望を表現する主人公たちの演技は、本当に脱帽させられました。
 
 食事シーンが多く登場しますが、新垣結衣さんの食べ方が本当に不味そうなんですよね。寿司でも蕎麦でも、マジで美味しいと感じていないということがちゃんとわかるようになっています。人生が充実していないと、食事が楽しくならないということが、よく理解出来るシーンになっています。その反面として、後半の穏やかな生活での食卓では、ちゃんと美味しそうに見えるようにしています。この辺りの変化も巧みですね。
 
 「LGBTQ」という名付けをされたために、マジョリティ側にも知識が広まったという良い側面はあると思いますし、それは批判されるようなものとも思いませんが、その区分にも当てはまらない人々というのも確実に存在していて、それが故に疎外感を強めてしまうという側面もあると思います。そういう点を掬い上げている作品なんですよね。
 
 「普通」からは外れた(とされている)主人公たちが描かれているわけですが、その立場だけではなく、「普通」の人側の視点として、稲垣吾郎さん演じる寺井という人物も主人公にしています。この寺井は「社会的規範」そのものの象徴であり、外れている人々を理解出来ない人間として描かれています。社会の象徴である寺井が不寛容に見えるということは、この社会そのものが不寛容であるということを描いているんですよね。
 稲垣吾郎さんは、『窓辺にて』での思慮深い男性の演技も素晴らしかったのですが、その演技手法はほぼ変えずに、思慮の浅さを表現していて、キャスティングに応える見事な演技でした。マイノリティ側の主人公たちの人生が描かれ、感情移入出来るようになればなるほど、「普通」であるはずの寺井が人でなしに思えてくる構造になっています。

 ここ数作で次々と難しい役どころを演じている磯村勇斗さんは、今作の仕事も素晴らしいものですし、佐藤寛太さんは初めて拝見しましたが、虚無そのもののような眼は、東出昌大さんを彷彿とさせるものがありますね。東野絢香さんも初めてでしたが、とてもリアルな女性を演じていて、群像劇でも埋もれない存在感がある演技でした。
 
 原作未読なので、この物語がどんな言葉で表現されていたかを知らないままだったのですが、少なくとも作中ではかなり言葉が少ない演出になっています。説明台詞のような不自然な部分もほとんどないし、劇中の心理描写は役者の表情にほぼ任せているように思えます。
 これは役者の力量がなければ成り立たないし、ある程度観客の理解力を信用してくれないと出来ない演出ですよね。1人の観客としては好みであると共に、受け手側に委ねてくれているという非常に嬉しくなる手法です。
 
 主人公たちが持つ性的指向は、マジョリティからしたら、とても理解出来るものではありませんが、そもそも理解をしてもらいたいわけでもないんですよね。
 だからといって関わらないというのも違っていて、ただ生きていることを認めて欲しいんだと思います。性的に繋がらずとも、生きていくのには他者が必要だし、ここに居ても良いと言ってくれる存在が、人間には必要なんだと思います。そしてそれは、マジョリティもマイノリティも等しく、どんな人間にも必要であるはずです。
 とてもシリアスで、結末もビターな物語ではありますが、根底のメッセージとしては、全ての人間を肯定するという優しいものだと思います。性的指向に関係なく、孤独を抱える全ての人に向けられた作品でした。


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