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映画『アステロイド・シティ』感想 箱庭世界で遊ぶ虚無感

 いよいよ難解なレベルになってきたウェス・アンダーソン作品。映画『アステロイド・シティ』感想です。

 1955年、隕石のクレーターを観光地としているアメリカ南西部の街、アステロイド・シティ。この街に、科学賞を受賞した5人の天才少年少女たちとその家族が、授賞式へ招待される。その天才少年の1人であるウッドロウ(ジェイク・ライアン)の父親、オーギー・スティーンベック(ジェイソン・シュワルツマン)は、息子と三つ子の娘たちに、母の死の事実を告げられないまま悩み続け、義父のスタンリー・ザック(トム・ハンクス)に連絡を取る。それぞれに複雑な事情を抱える人々が集まった授賞式、突然の宇宙人到来により、政府は街の封鎖を決定して、人々は小さな街に閉じ込められてしまう。
…というストーリーを描いたのは劇作家コンラッド・アープ(エドワード・ノートン)。彼はいかにして『アステロイド・シティ』を創り上げたか、その裏側が語られる…という物語。

 『ダージリン急行』『ムーンライズキングダム』『グランド・ブダペスト・ホテル』など、独特の世界観を持つウェス・アンダーソン監督の最新作。昨年公開の前作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』も記憶に新しい中で、早くも新作映画の到着なりました。

 執拗に線対称にこだわった画面作り、設定を早口で矢継ぎ早に説明されるナレーション、感情を見せない俳優の演技など、元々がクセのある作風ですが、より「ウェス・アンダーソン節」が極まってきた感じを受けるのが、前作『フレンチ・ディスパッチ~』と今作『アステロイド・シティ』という並びになっているように思えます。

 今作では、メインとなるあらすじは「アステロイド・シティ」という架空の街にあるモーテルを舞台とした群像劇的な物語ですが、オープニングでその物語は舞台演劇として創られた劇中劇ということが明かされており、その劇物語と並行して、劇作家や演じた俳優たちのエピソードが差し込まれるという、かなり入り組んだ構造の物語になっています。前作の『フレンチ・ディスパッチ~』では短編を雑誌記事に仕立てているということで、オムニバスとして割り切って観ることが出来たんですけど、今作ではなまじ関連性があって平行して進むためか、非常に理解しづらい構造でした。

 では、その構造にどう効果があって、それにより何を伝えたい作品なのかというと、これが綺麗さっぱり伝えたいものがないようにも思えるんですよね。あくまでこの構造の物語を創ってみたかったというマッド・サイエンティスト的な狂気を、ウェス・アンダーソン監督には感じます。

 ただ、その世界観の雰囲気をBGM的に楽しむことは出来る作品になっています。雰囲気を楽しむものと言うと浅い作品をディスる言い方に聞こえてしまいそうですが、ウェス・アンダーソン作品の最初に感じる魅力って、作品世界の雰囲気や空気を楽しむ点だと思うんですよね。これだけ難解な構造にしておきながら、あくまでポップな映画作品という印象になっているのが凄い事だと思います。

 ウェス作品の特徴として、この世界そのものを俯瞰することによって、箱庭的な視点を持たせているところがあります。今作はまさに劇中劇の世界と、その舞台劇を演じる人々の世界という箱庭の二重構造になっていて、そのミニチュア的世界で人形を遊ばせているような感覚があります。

 ただ、キャラクターとしての人間劇が弱いというわけでもなく、むしろ相変わらずアクの強いキャラクターは盛り沢山ですね。三つ子の娘ちゃんの独特な可愛らしさ(祖父であるトム・ハンクスのやり取りも最高!)、オーギーとミッジ・キャンベル(スカーレット・ヨハンソン)の醒め切ったロマンス、さらにシュールな宇宙人の登場などなど、もっと掘り下げればいくらでもストーリーを膨らませそうなのに、その部分は観客の想像する余白に留めているというのも憎らしい手腕です。

 この箱庭のキャラクターたちは本当に豪華キャストですね。この俳優たちが演じているから、ただのチョイ役に思わせない奥行があるキャラクターたちになっています。個人的に今一番ジジイ顔で好きな俳優であるウィレム・デフォーなんて、何の役だったか思い出せないんだけど、印象に残っているんですよね。良い意味で、無駄使いしている感じが素晴らしいです。

 最も物語がエモーショナルになる部分が、劇中劇で母を演じる予定だった女優役のマーゴット・ロビーの場面ですが、『アステロイド・シティ』という物語の核となる感情場面が、実は劇中劇ではカットされた場面というのも、何とも捻くれた演出ですよね。このマーゴット・ロビーが演じる名もない女優の言葉で語られる、オーギーと亡くなった妻の想いというものが、ワンクッション置いたダイレクトではない形で涙を誘ってきます。

 作品世界の随所にある「死の匂い」もウェス作品に共通するもので、今作もそれに溢れていると思います。そもそも妻が死んでいるところから始まっているし、モーテルを通りかかる犯罪者集団と警察の銃撃カーチェイスも、遠くの視点ですが、すぐ近くに暴力があるという表れになっています。そして何よりも軽い扱いで見せられる、核実験のキノコ雲も、ユーモラスに見えてしまいますが、決してジョークではなく、「滅び」というものがすぐ其処にある危うい世界という表現なんだと思います。箱庭の中に虚無感が蔓延しているのは、現実世界でも同じと考えているのかもしれません。

 監督独特の手法が極まり過ぎて、正直もう少し観やすい作品にしてくれないかと思わなくもないですが、ウェス・アンダーソンが興味をそそられる作品がこういう構造の作品なのでしょう。監督の箱庭療法を楽しませもらうだけの身として、次にどんな世界を魅せてくれるか、期待したいと思います。


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