見出し画像

アントン・チェーホフ 「六号病棟」 書評

あけましておめでとうございます。

アントン・チェーホフ著 松下裕訳
六号病棟・退屈な話」に収録されている、
六号病棟」を読んだので、あらすじと感想を紹介します。

「六号病棟」自体は100ページそこそこで、そこまで長くありません。
「退屈な話」も名作ですが、こちらもかなり面白いです。

ざっくり言うと、田舎の医師として赴任してきた主人公が、六号病棟にいる精神病患者と議論を重ねるうちに、まわりから気狂いになったと思い込まれて、六号病棟に入れられてしまうお話です。

戯曲で名を馳せたチェーホフですが、小説も非常に完成度が高いため、是非読んでみてください。

※ネタバレ

あらすじ

鉄道から200キロも離れたロシアの片田舎の病院に、アンドレイ・エフィームイチ・ラーギンという医師が赴任してきた。

この街の病院は、不衛生で薬も無く、職員や医師の汚職が横行しているほど、最悪な状態であった。

アンドレイ・エフィームイチは、赴任した当初は、多くの患者を熱心に診療していたが、患者があまりにも多すぎたり、医療品不足で満足な治療をできずに帰すしかない現状に辟易したりして、やる気がなくなってしまった。

それにそもそも、なんのために人の死んでいくのを妨げることがあるだろう、死というものが一人一人にとって正常な、当然行き着くべき終着点だとするならば。
小商人や官吏なんぞが、五年や十年生き延びたところで、いったいそれがなんになる。 (アンドレイ・エフィームイチ)

チェーホフ「六号病棟」 5章

ある日、アンドレイ・エフィームイチは、精神障害者が収容されている六号病棟という隔離病棟を訪れた。

六号病棟は病院の中でも最も劣悪な環境で、めったに訪れるものはいない。

ここには精神病患者が5人収容されているが、そのうちの被害妄想を患っている、貴族出の元執達吏のイワン・ドミートリチ・グローモフという患者が、突然アンドレイ・エフィームイチに食ってかかった。

あなたや准医師や事務長や、病院じゅうのごろつきどもは、道徳の点ではわれわれの誰よりも遥かに下等なんだ。それがいったいどうしてわれわれはぶちこまれて、あなたがたはそうされないんだ。どこにそんな理屈があるんです。(イワン・ドミートリチ)

チェーホフ「六号病棟」 8章

これに対して、アンドレイ・エフィームイチは、このように答える。

わたしが医者で、あなたがたが精神病患者だということには、道徳も理屈もない、ただ単なる偶然にしか過ぎませんよ。
(中略)
なにしろ監獄や精神病院があるからには、誰かがその中に入っていなければならないのですよ。あなたでなければわたしが。わたしでなければ他の誰かが。(アンドレイ・エフィームイチ)

チェーホフ「六号病棟」 8章

医師は、議論を深めていく中で、イワンを非常に気に入った。

なぜなら、医師はこの町に赴任して以来、町全体が腐敗しきっており、知的好奇心をくすぐるような教養のある面白い相手に会えずにうんざりしていたところに、精神障害ではあるが、知的で聡明なイワンが彼の前に現れたからである。

この日以来、医師は六号病棟に足繁く通うようになり、イワンと議論するようになった。

しかし、病院の同僚や、友人で郵便局長のミハイール・アヴェリヤーヌイチは、アンドレイ・エフィームイチがとうとう気が触れてしまったと思い込んだ。

その後、アンドレイ・エフィームイチは医師を辞めさせられ、しばらくミハイール・アヴェリヤーヌイチと休暇として旅行にいくことになった。

旅行先で、長らくアンドレイ・エフィームイチは、友人の傍若無人な振る舞いにストレスを溜めていきながら、耐えていた。

旅行を終え、アンドレイ・エフィームイチは、精神的に憔悴し、不安定になってしまい、とうとう六号病棟の一員に加えられてしまった。

精神病患者としてイワン・ドミートリチと再開した元医師は、深く絶望し、門番のニキータにここから出すようにと必死に抗議するが、殴られて失神してしまう。

六号病棟にぶち込まれた以上、ここで死んでいくしかないことは、はっきりしていた。

絶望のふちにアンドレイ・エフィームイチは、卒中で倒れて、そのまま死んでしまった。

ーーーーーあらすじ終わりーーーーー

感想

アンドレイ・エフィームイチが展開した理論は

  • 町人一人を治療したところで何がよくなるのか?

  • 精神病棟がある以上は誰かがそこに入らなければならぬ

  • そこに入るかどうかはまったくの偶然で、入った以上、どんなに劣悪な環境でも受け入れて、人生を理解するべきことに努めるべきだ。

というまさに「医者がそれを言っちゃあおしめぇよ」である。

そんなことを言ったアンドレイ・エフィームイチ自身が精神病等に入って、絶望して死んでしまう流れは、なかなか滑稽じみてみて、寓話っぽく感じた。

結局、医師が展開した理論は、旧約聖書に記されているソロモン王の言葉

空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。

旧約聖書 伝道者の書1:2〜3

がベースになっているだろう。

これは、同じくチェーホフの中編小説「ともしび」にも出てきていて、この小説は以前にも紹介した。

アンドレイ・エフィームイチは、片田舎の病院に赴任して、その劣悪な環境に閉口した。

本来ならば、改善をするべきなのは百も承知だが、「空の空」にかこつけて、動かない自分を正当化している。

自分も学校やら会社やらコミニュティやらで、組織の改善点を見つけた際にも、動き出したことはめったになく、耳が痛い。
これもアンドレイ・エフィームイチと同じような心理だろうか。

「空の空」を聞くと、かなり説得力があり、納得してしまう反面、否定しなければならないと強く思う。

なぜならこれを受け入れると生きている意味がなくなってしまうからだ。

何も考えずに俗世に埋もれて、空っぽに生きていくことは、否定しなければならないと私の理性は言うが、考えるのはどうしてもエネルギーがいる。

だからせめて読書をして、感想文をnoteに書き記しているのである。

ある人は、スポーツに没頭したり、仕事に精を出したり、絵を描いたり、作曲したり、小説を書いたりするであろう。それでこそ人間ではなかろうか。とは思うものの、生きていくだけで精一杯でなかなか難しいのである・・・(葛藤)。

アンドレイ・エフィームイチは赴任した町で出会う人々に、退屈しきっていたが、それは俗世に埋もれた空っぽな人間しか出会わなかったからで、やっと出会えた面白い人間が、皮肉にも精神病棟の住人だったのである。

精神病等に通うようになったアンドレイ・エフィームイチは、周りから狂人扱いされ、ついにはそこの住人となってしまうが、実際は狂人ではなかっただろう。

狂人というレッテルを貼られ、狂人扱いした結果、ノイローゼを起こしたに過ぎないのではと思う。狂人以上に害悪な人間は世間にいくらでもいるはずだともアンドレイ・エフィームイチは言っている。

そういう意味では、前述のようなとんでもない理論を展開した医師に対しても、かわいそうに思えてならない。

ーーーーー感想終わりーーーーー

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?