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ショートエッセイ:狂気のメキシコ皇后シャルロッテ

もし、かの有名なオーストリア皇后エリザベートの存在がなかったら、シャルロッテはあれほど不幸な人生を送らなくて済んだかもしれない。
エリザベートはバイエルンの公爵令嬢の出。シャルロッテはその義妹で、ベルギーの王女だった。
自由を愛したエリザベートは姑のゾフィ大公妃から散々にいじめられ、一方シャルロッテは「完璧な嫁」として大公妃に可愛がられた。
しかしエリザベートは、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の妻で当然皇后であり、シャルロッテは皇帝の弟のマクシミリアン大公の妻でしかなかった。
更に不運なことに、エリザベートは当時広く知られた絶世の美女だった。
シャルロッテも決して醜くはなかったが、エリザベートが現れれば人々はたちまち彼女に目を奪われ、果てはマクシミリアンまでもうっとりする始末。
そういう訳で、シャルロッテとエリザベートは仲が悪く、至る所で暗闘を繰り広げた。

シャルロッテは、小柄だがいつも背筋をピンと伸ばし、黒い髪をきっちりと真ん中から分けて、生真面目だった。大変頭が良く、4か国語を操り、野心家で、いささか男性的な性格をしていて、夫のマクシミリアンを辟易させる程であったらしい。
また、彼女の肖像画・写真を見ていると、際立った特徴がある。彼女の笑顔が一切残されてないのである。それは彼女の後年の暗い運命を予感させるものだったのかもしれない。

1861年。
マクシミリアンがロンバルディア・ヴェネツィア総督の地位を解任され、トリエステの居城でくすぶっていたシャルロッテのところに、朗報-その時はそう思えた―が届く。
それはフランス皇帝ナポレオン3世の意向であった。
当時アメリカ合衆国は南北戦争真っただ中。フランスの思惑としてはメキシコに君主国を建設し、アメリカへの牽制としたい。しかしその君主には誰が適任か。
マクシミリアンに白羽の矢が立ったのだ。
夫はメキシコの皇帝、そして自分は皇后。シャルロッテは狂喜した。これで少なくともエリザベートと対等の身分になれる。
メキシコ皇帝の位を受けたら、オーストリアの皇位継承権が失われると知ってマクシミリアンがこの話を辞退しようとした時も、シャルロッテが夫を叱咤激励した。
例えばロンドンでシャルロッテの祖母、マリー・アメリ―が
「あなたがたは結局身を滅ぼすことになるでしょう」
と二人に忠告した時、マクシミリアンは涙を流したが、シャルロッテは全く動じなかったという。

1864年、マクシミリアンとシャルロッテを乗せた帆船ノヴァラ号は、トリエステを出港して大西洋を渡り、メキシコへ向かった。

しかしメキシコでの日々には、シャルロッテもマクシミリアンも大変苦労させられる。
当時、メキシコ国内は保守派と共和派の激しい内戦が繰り広げられており、そこにフランス等の外国の軍事介入という荒れようであった。マクシミリアンはその中で保守派とフランスの支援を受け、リベラルな政策を次々に打ち出すが、アメリカの支持を得た共和派からの激しい敵意には手をこまねいて、時には建築など、趣味の世界に逃避することもあった。
一方、シャルロッテはその間、政務に精を出した。彼女の統治能力は夫より上だったかもしれない。まもなく
「メキシコ帝国は皇后で持っている」
という陰口が聞かれるようになる。
忙しい、充実した日々…しかし、マクシミリアンとシャルロッテの間には子供が生まれなかった。この時代、皇后や王妃の第一の任務は跡継ぎを産むことであった。シャルロッテは唇を噛んだ。

メキシコの内戦は続き、さすがのフランスも手を引くことを考え始める。
退位。マクシミリアンの心をこの言葉がよぎった。
それを必死で防いだのはシャルロッテであった。皇后の位を失い、再びエリザベートの影に戻ることだけは耐えられなかった。
彼女はメキシコ帝国を救うべく、夫を残して単身で大西洋を渡り、ヨーロッパに旅立つのだった。退位だけはするなとマクシミリアンに必死で念を押して。

オーストリアにはマクシミリアンの兄フランツ・ヨーゼフ1世がいた。
ベルギーにはシャルロッテの兄、レオポルド2世がいた。
しかし、どちらの国にも頼れない。オーストリアはプロイセンと戦争中で、レオポルド2世とシャルロットの関係は修復不可能なまでに悪化していた。
何よりもこの2国に援助を乞うて笑いものにされたくはない。
シャルロッテはフランスに向かう。

だがようやく現れたナポレオン3世は、
「最早。フランスはメキシコのために何もすることができないのです」
と繰り返すのみ。
激怒したシャルロッテはその場で気絶。介抱のため差し出された飲み物を見て、
「ああ、恐ろしい。毒殺するおつもりなのね!」
と叫び、半狂乱になったのだった。

少し回復したシャルロッテは短時間トリエステに戻り、休養を取った。この時は回復したように見えたが、教皇ピウス9世に謁見を申し込むためにローマに行った辺りから、シャルロッテは急激に精神崩壊していく。
メキシコ帝国の復興に手を貸すことに気が進まず、冷淡な態度を取るピウス9世の前でシャルロッテは絶望した。出された食事や飲み物には
「毒殺するおつもりね」
と決して手をつけず、夜も更けたので教皇が帰るように促すと、ホテルには暗殺者が潜んでいるから絶対帰れない、と答える。やむなくバチカンでは全く異例のことだが、シャルロッテは教皇庁に一泊することになった。
その他、彼女の数々の奇行がベルギー王室に知らされ、トリエステに連れ戻され、幽閉された。メキシコ帝国での激闘の末マクシミリアンが共和派の手に捕らえられ処刑されたことも、彼女には知らされなかった。

夫の死後、シャルロッテはベルギーに帰されることになった。
ブリュッセル近郊の小さな城に監禁され、そこで余生を送った。夫の名をつけた小さな人形を常にそばに置き、夜は一緒に寝ていたという。
彼女は精神の病から遂に立ち直ることなく、86歳で死んだ。

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