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嘘を自分で認識できるか?

前提

ここ数日で読んだ『言語ゲームの練習問題』から発想を得たというか、似た話だと思う。

今回の話の前提として、嘘つきのパラドックスというものがある。例えばこんな例がある。

全ての日本人は嘘つきだ

と、私が言ったなら、私は日本人なので、この言葉自体が嘘になってしまう。逆に、この言葉が嘘(日本人はみんな本当のことを言う)なら、この言葉の言う通りであり私は嘘つきという本当のことを言っていることになる。どちらも矛盾である。文章が通じているかは分からないが、言葉を信じても信じなくても、考えると最終的に逆の結果になることを言いたい。

このパラドックスには言ったことに対する対象に自分が含まれる自己言及の状態にある。

この自己言及を取り除こうとしても嘘つきサイクルというものが生じてしまう。

日本人が「中国人の言うことは本当である」と言う
中国人が「日本人の言うことは、嘘である」と言う

日本人の言葉を信じると、下の中国人の言うことは正しい。けれども、中国人の言うことは前提とした日本人のことは間違っているという。逆に、日本人の言葉を信じないと、中国人の言うことも嘘である。そうなると、日本人は本当のことを言っていることになる。どちらも前提とのつじつまが合わない。

どっちつかずになってしまう。冒頭で紹介した本では、この嘘に立ち向かう方法として、質問することであると書いてあった。そうするとつじつまの合わない部分が出てきて嘘が崩れると。

本題

ここからが本題です。

話が長くなるので、先に書きたいことを書いておく。

嘘を嘘だと思っていなければ、自分にとっては間違いになるが、話を聞いた相手にとっては嘘になる。けれども、私は嘘をついていたことになるのか?

この話に持っていくために順に書いていく。

真実を知っていながらの嘘は自分で認識できる。もちろんそうだ。けれども、自分が真実だと思っていたことが本当が嘘だとしたら自分には分からない。これももちろんそうだ。

ここに相手が登場するとややこしくなる。

相手は全てを信じる

ここでは、話を聞いた相手は何も知らない場合(相手の話を無条件で信じる)とする。

相手に言っていることが嘘であると自分が知っていながら話せば自分は嘘を伝えていると分かっている。ここでは、自分だけ本当のことを知っている状態になる。

逆に、自分が本当だと思っていることが嘘であれば、それを伝えた相手も嘘を信じることになる。ここでは、嘘だと分からなければ自分も相手も本当だと思い込み、嘘だと分かれば2人とも嘘をついていた・信じていた状態になる。

この例では特段問題なくどんな会話をするにしろここで終わる。

相手が意見を持っている場合

では、相手が聞いた話について自分なりの答えを持っていた場合はどうだろうか。

最初の例だと、嘘と同じ話を相手が本当だと思っていれば、何も変わらない。相手はうなずいて終わる。けれども、「それは間違ってる」と言われれば、話し手が嘘を貫き通すか、「嘘をついていました」と認める。もしくは、「話を聞かせて」と逆に相手の話を聞く3通りがある。嘘を貫き通せたらまた同じ結果に。嘘をついていたと認めたら、自分が思っている本当のことを話して相手からのジャッチを待つ。またここで間違っているかの判断が入る。ここの場合は自分の手札が無いので話し手と聞き手が入れ替わる。相手の話を聞く場合は自分の知らなかった答えになる場合も知っている答えになる場合もある。知らなかった場合は2つ目の返答と同じで相手の話を聞く側に回るかもしれない。

2つ目の話の行方は討論するしかないのでこれ以上は話をしない。

既に話がややこしくなっているし、通じているかは分からないが次に進む。

自分が本当だと思っていることを話して相手にそれは間違っていると言われた場合。上の話で言うと、本当の話(嘘)を貫き通すか、相手の話を聞くの2択である。必然的に上の話では保留にした討論に持ち込まれる。

相手が意見を持っている場合の話の終わり方としては、話し手の意見を信じて(説得されて)終わる(相手が全て信じた場合と同じ)。嘘がばれて終わる(話し手の本当の話と相手が思っている話が同じ)。自分が説得されて終わる(自分が嘘をついていた、いないに関わらずどちらも間違っていた場合)。はたまた第3の答えに(どっちの答えが合っているか判断できずに2人で考える)。

嘘がばれて終わる以外には結論を出すのに討論が挟まる。つまりは、互いに質問をすることになる。これは本の内容の通りだ。どちらかの話に「あれ?」というつじつまの合わない部分が出てきてどちらかの話に終結する。それか、互いの話がおかしく、第3の答えもしくは、互いの話を補填し合いどちらかの話に落ち着く。確かに分かる。

議論

ここで書きたいと思ったことが出てくる。

嘘を嘘だと思っていなければ、自分にとっては間違いになるが、話を聞いた相手にとっては嘘になる。けれども、私は嘘をついていたことになるのか?

逆の立場にしても問題ない。私を相手に、相手を私に。むしろ視点の問題だとも言える。

どちらかの話に落ち着いた場合には、「ほら私の方があってた!嘘ついたな!」という話はどこにでもある。私目線からしたら、相手は嘘つきであるが、相手目線からしたら間違っていただけである。

しかし、第3の答えになった場合は「2人とも嘘をついていたね」とはならないで、「2人とも間違っていたね」となるのが私の感覚的にはしっくりくる。もしくは、ちょっと足りなかったと。「嘘をついていた」とはならない。嘘というのは、真実を知っている側からの目線であって、第3の答えになった時には嘘と言う対象が無く、2人で「間違っていた」と言うのではないだろうか。感覚的な話を書いてしまったので万人受けするかは分からない。けれども、本当のことを知っている自分が言う間違ったことは嘘であり、本当のことを知っている自分という対象がいる時である。

結論としては、自分でもこの問題は分からないが、言っていることが矛盾するかというか、「嘘」と取るか「間違っている」と取るかが自分の中で納得できないのだろう。

今回書いた話が一般的に「コミュニケーションが出来ない」、「人間関係が苦手です」という話にも繋がっているようにも見える。会話ベースで話を進めた点もそうだが、自分の前提の認識が相手と違うこと、分かり合えないことが原因だと思う。


今日はこの辺で。

では。













P.S.
読書感想というか、本を読んで思ったことを今回のようにかいつまんで書く方良いような気がする。無理に1つの記事に読んで良いなって思ったところを全部入れると長すぎるし、書いていて疲れるので今回の形の方があっていそうな気がする???。それにしても今回の記事は私の記事の中でも上位に来る長さだと思う。疲れました。ちょっとモヤモヤする(何かすっぽり抜けているような…)がとりあえず終わります。


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