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赤ちゃんは言葉がなくても思考している

今回は、新生児、乳児の育児に頑張っている、ママ&パパにお届けしたいページです。この事実を知っていただくことで、少しでも子育ての励みになれば、と思います。

実は、赤ちゃんは言葉を話す前から、結構大人レベルで、相当いろんなことを考えています。

専門家の中には
「言語がなければ、考えることはできないだろう」
と考える方もいるようですが、それをうちの一卵性双子の息子たちに言うと

もぉ〜、何を言っているんだよ〜〜。ある意味大人以上に色々感じたり考えたりしているよー!

と呆れ顔でした。

双子の息子たちはもう成人していますが、今でも、生命を受ける前の記憶や、胎内記憶を持っています
そして生後間もない時の記憶も断片的にあるようです。

今回このページを書くにあたって、もう一度彼らに確認をとってみました。すると、

もうね、今でもあの時の記憶はものすごーくはっきりと覚えてるよ。言葉がなかった分ね、気持ちや感情がものすごく強いんだよ!
是非今育児している親御さんたちにも知ってほしいね。


ちょっとバックグラウンド

うちの双子は生まれてから2歳まで、フィリピンのマニラで育ちました。
今でこそ、私に似てかなりおしゃべりな2人ですが、小さい頃は言葉がとても遅く、
2歳の誕生日の時点で、1人は、意味のある言葉を1語、もう1人は ほとんどゼロという状態でした
1語と言っても”No!”だけですけどね。もはや言葉とは言わないレベル…。

笑わない赤ちゃん

育児本によると「生後2ヶ月を過ぎると、赤ちゃんは人の顔を見てにっこりと笑うようになってきます」とありましたが、うちの双子は笑いませんでした。生後3ヶ月頃になって、やっと双子のうちの1人が笑うようになりました。「まぁうちは一ヶ月早産だから、修正月齢だとそんなもんか」くらいに考えていましたが、もう1人の子(小さく生まれた方)はその後もほとんど笑いませんでした。

歩行器に大爆笑する双子

そんなこんなで、彼らが生後7ヶ月の頃です。
彼らに歩行器を買い与えました。

生後7ヶ月/兄の方
生後7ヶ月:笑わない弟が初めて大笑いした歩行器

彼らは歩行器に大興奮で、キャッキャとはしゃいで大喜びで遊びました。
一番驚いたのは、今までほとんど笑わなかった子(黄色い方)が、今まで聞いたこともないような声ではしゃぎ、大爆笑して、遊び始めたのです!

私はとっても嬉しくなり、彼らの大笑いにつられて、私もゲラゲラ笑って一緒に遊びました。 

翌日の赤ちゃんサークル

歩行器を購入した翌日、以前から予約していたベビーサークルのベビーマッサージ講習に参加しました。

講師はマニラ在住のアメリカ人で、ベビーマッサージセラピストの資格を持っている方でした。
ベビーマッサージだけでなく、育児に関することも教えてくれました。

その時、たまたま「歩行器の危険性」について彼女が話し始めました。
彼女曰く
「歩行器はとても危険で、毎年赤ちゃんが歩行器によって大怪我をするケースが絶えない」
とのことでした。また、
ハイハイは赤ちゃんの心身の成長にとても重要歩行器を使ってしまうと、ハイハイをする機会を失ってしまう。ハイハイをしないと、探索行動をして脳を鍛えたり、体を鍛えたりする機会も失ってしまうので良くない」
とも言っていました。

「実は、昨日歩行器を買ったばかりなんです!」
と言うと、

すぐに返品した方がいいわ。買ったばかりで良かったわね。」

と言われました。(フィリピンでは、レシートがあれば、使用後でも返品できます) 。

せっかく子供が笑うようになったのに、惜しいなぁと思いましたが、危険性や悪影響を考慮して返品することにしました。

その後、1歳の誕生日に、この青いコンビカー(COMBIではありませんが…)を1台購入しました。やはり危険性を考慮して、試しに1台買ってみました。これも2人は喜んで、いつもこうして遊んでいました。

一歳の誕生日のころ

大きくなってから

彼らの成長過程で幾度となく、赤ちゃんの時の写真を一緒に見て楽しんでいました。

コンビカーの写真を見て

ある時、上のコンビカーの写真を見て、兄の方が

コレ、弟(黄色の服)が全然貸してくれなかったんだよなー。
『早く貸せよー』って何度も言ってんのに、いつも
『あともう少し』とか『ダメー』
とか言ってさー

と、当時のことを話し始めました。
うん、確かに。』
そういえばあの頃、弟ばっかり車にまたがっていました。

ふと、
「あれ?当時のお前たち、ぜーんぜん話せなかったんだけど」
と私が言うと、彼らは

え?そうなの?でも俺、これに関してははっきり覚えてるんだ!絶対話しているんだよー。ホント何度言っても貸してくれなくてさー

『うーん、どうやらマジっぽいな…』

「でもね、この頃1歳になったばっかりでしょ。お前たちはぜーんぜん、しゃべる気配もなかった頃だよ。」 

へぇ〜俺たちこの時は言葉しゃべってなかったのかぁ〜?
でも俺たちはいつも普通に会話してたんだけど、言葉じゃなかったんだね〜きっと。
だからママには全然通じなかったのかぁーー


歩行器の写真を見て

今度は歩行器の写真を見た時、

コレだよ!これ!これ、すっごーーーく探してたんだ!!

と2人が叫びました。

以下、2人の会話です。

「ほんの一瞬で無くなったよね。」
「あん時のこと、ものすごく強く覚えているよー」

「アレ、ほんっとに楽しくてさー。でも急に無くなって。」
「いつも2人で『アレはどこ?』『アレはどこ?』って探してたよな!」

「そうそう、『アレはどこだよー』って、結構長い間、ずーっと探してて、
ママにも相当訴えたよな!

2人で『アレはどこ?』って、ママにも一生懸命きいてたんけど、ママはいつも、すっごく素っ気なくて。」

「俺たちはいつも、普通に会話ができてたから、『ママに伝わってない』なんて、想像すらしてなかったよ。」

「こんなに2人して一生懸命訴えているのに、ママはいつも『なにこの素っ気なさ』って感じだった。軽くあしらわれてるな〜、みたいな。」

「『俺たち言葉遅かった』みたいだけど、自分では言葉遅いなんて思ってもいなかった。だって2人の間では普通に会話できてたからね。」

私「へえー、もうこの頃から2人して会話してたの?」

「いや、その前からだよ。っていうか、もうずーっと」

はぁ〜、もう恐れ入っちゃう。
きっとこの世に来る前の「白い光の玉」だった頃からなのね。

2歳から2歳半くらいの記憶

この頃、日本に帰国しましたが、もちろん彼らはほとんどまだしゃべれませんでした。フィリピンで購入したクマのプーさんとサウンドオブミュージックのDVDが私も子供たちも好きで良く見ていました。

大きくなってから、彼らに
「懐かしいもの見せてあげるよ」
と言って、プーさんのDVDとSound of MusicのDVDの一場面を少し見せたことがあります。すると、

うわぁあああーー、共感覚!うわぁああー、やばーーい」

と2人が同時に叫び始めました。

私が
「どうしたの?」
とたずねると、

双子がお互いに

「お前わかるだろ?」

「うんわかるよ、すごいなんか、共感覚っていうか、すごい変な感覚なんだよー。
なんか映像と音が触覚になって感じるっていうか、なんかものすごく強くて、独特で、口では表せないんだけど、でもその感覚が心地いい、みたいな。」

ある映像を見ると、その時の音と映像が合わさって、『ガン!!』っと触覚になって、強烈に感じるの

この共感覚は2、3歳の頃の感覚なんだそうです。
彼らの場合は、音と映像が「触覚」になって、感じていたらしいのです。
その映像を見た瞬間、その感覚を思い出したらしいです。

私「その共感覚と似ている感覚ってある?
と聞いてみると、

「強いて言うなら、Youtubeとかで『気持ちの良い動画』ってあるでしょ。なんかそれみたいな感覚の、もっと強烈に気持ちいいバージョンかな?」


さっきの会話

先ほど夕飯の時、この話を話題にしてみました。

現在2人とも同じ大学の医学生で、今のところ同じ研究室で脳の研究をしています。

「小さい頃の脳はまだシナプスの刈り込みされる前だから、神経回路が混線して、そんな風に感じるのかもしれないね。言葉がない分、余計に感覚で感じる部分が強いのかもね。今はもう、共感覚を感じることないからね。」

「とにかく小さい時は、感じるものすべてが強烈なんだよ。楽しいときは、全身全霊で思いっきり楽しいし、怖いときはめちゃくちゃ怖くて、この世の終わりのような恐怖だし〜。」

「でもあの小さい頃に味わった遊びの楽しさは、もう二度と味わうことができない楽しさだったね〜。とにかく全身でめーいっぱい「たのしーー!!!」ってわきあがる楽しさなんだよ。だから小さい頃は、絶対にたくさん遊ばせた方がいいねー。これは子供しか味わえない特権だから。そうしないともったいないよ。」

「こんな感覚や体験は、俺だちだけでなくて、きっとママや他の人も、小さい時に同じように感じてたんじゃないかなと思うよ。俺たちは双子だから、お互いにそう言う話できるから、たまたま覚えているだけでさ。」

私が、「そんなことまで共有出来て良いねぇ〜。」
というと、

そうだね、口では表現できないことも理解しあえるからね!

だそうです。
双子って不思議。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今、子育てに奮闘しているパパやママが、

「この子も今とっても敏感に、いろんなことを感じたり考えたりしているのね〜」

としみじみ愛おしく感じるきっかけになれたら嬉しく思います。

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