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相手に尽くすことは愛なのか

相手に尽くしたくない、尽くしたいと思えない相手だったら愛していないことになるのだろうか?

私はそうではないと思う。

別に相手に尽くすことが愛ではない。相手に何かしてあげたいと思う気持ちにはどこかで相手によく思われたい、周りに良い彼女、良い妻と思われたい、という思いがないだろうか?

それ自身は別に悪いことではないと思う。人はみんな承認欲求を持っているし。問題なのは、そのような自身の欲求を満たす行為を愛と美化することである。

相手に尽くすことは愛ではないと思う。そこには男性に尽くす女性像があり、男女の非対称性を浮き彫りにしている。これは行き過ぎると、カップル間、夫婦間に不平等な関係性が形成され、DVにも繋がる危険なものである。

一方的に「尽くす」のではなく、お互いに「思いやる」ことが大切ではないだろうか。

私もジェンダーを学ぶ前は、男性に尽くす女性が良い女性、相手の男性の身の回りの世話をすることが良い事だという意識があり、私自身はそのような気持ちを持てなかったため、私は女性失格であると自分を責めていた。ジェンダーを学んでからはそれで良いのだ、と自分を肯定できるようになった。私は男性の道具ではなく、私は私のために生きて良いのだ。私らしく生きる、それが女性としても人間としても大切なことだ。

それでもやはり、男女が集まった時に、男性に尽くすことのできる女性が高く評価される。だから、女性はより素敵な男性に選ばれるために、より良い女性を演じる。結局それは男性を基準に生きており、女性はいつまでも従属的な地位に置かれたままである。

今こそ私たちは見られる性、受身的な性ではなく、能動的な性にシフトして行くべきではないだろうか。誰かの顔色をうかがって、生きるのではなく、自分の生きたいように、生きれば良い。

他人に人生を委ねるのではなく、私は私のために、私は私として生きていこうと思う。

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