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「ダブルケア」を考える

一昨日は第7回オンライン哲学カフェを開催した👼

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今回のテーマは「ダブルケア」を考える、だった。

「ダブルケア」というと、ケアの担い手の負担感、大変さに注目されがちだが、それ以外のところに目を向けることはできないのか、また、育児や介護はやはり依然として女性が担っていることが多く、ケアとジェンダーとの関係性、そこら辺を改めて皆で考えていきたいなぁという思いがあり、このテーマを設定した。

最初に考えていたものだけではなく、ダブルケアという現象からは様々な社会の課題が浮き彫りになってきた。

女性だけではなく、ケア労働は社会的な弱者が担い手となっている現状がある。私は特別養護老人ホームやデイサービスで働いていたことがあるが、中卒の若者や外国人労働者の割合も多かった。

ケア労働は評価されにくく、低賃金労働になっている。

ケアに対しては、実際に担っている人々の問題、家族の責任と思われがちであり、なかなか社会的な問題として認知が不十分である。

ケア労働の社会的地位が低い理由として、女性蔑視や差別、社会的排除などが考えられ、ケアそのもののあり方がかなり歪められていたり、商業的になっていく中で、ケアの受け手がモノ化されていっている現状があるのではないだろうか。

私はケア労働を人間の営みの中でとても大切なものであり、そこには「愛」が必要不可欠だと思っている。

一方で、ケア労働に「愛」を持ち込むことの苦しさ、厳しさも感じている。ケア労働に「愛」が必要不可欠だとするならば、やはり介護や育児は家族の中で行われるのが最も良いという理論に結びついてしまう。介護や育児を家庭内で担うことは難しい。核家族化が進み、家族内の成員が少ない中で1人にかかる負担感は大きく、家族を支援する制度が少ない中での介護や育児は肉体的、精神的、経済的にも苦しくなる。

ダブルケアに対する支援もほとんどないのが現状である。ダブルケアカフェやダブルケアサポーター等、相談窓口はできつつあるが、まだまだ普及しておらず、現実的に辛い状況を解決する方法はない。

神戸の新長田にある多世代型介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」の代表である首藤さんは、ダブルケアを日常生活の中の登場人物を増やす(1人にかかる負担を減らす)ことで解決したそうだ。多くの人々が訪れるはっぴーの家ろっけんでは、自然と助け合いが起こる。私も何度か子供を連れてお邪魔させて頂いたが、はっぴーの家ろっけんを訪れた人々が息子と遊んでくれたり、抱っこしてくれたり、私がトイレに行く間見ていてくれて、とても過ごしやすい、子連れには有難い空間だった。また、人と人との繋がりもでき、介護や育児の孤独感も解消される。

このように自然と人が集まり、助け合いの輪が生まれ、介護や育児と名前をつけなくても自然とそこにいる人が介護や育児の一端を担っているような空間を作っていきたいなぁ。




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