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他人に踊らされるのは馬鹿らしい

自分の人生を生きたいと考えるけれども簡単にはそうはいかない。世の中にはコントロールできないものが2つある。他人結果だ。

しかしながら私たちは他人に踊らされる。「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないんだよ」と怒りを感じたり「なんでそんなこというの」と悲しさを感じたり「どうせ自分は」と自分にさえ強い感情を向ける時がある。

私は感情に踊らされる、特に他人によって踊らされるのが本当に嫌いだ。自分が自分にどう向き合うかは自分の課題でありコントロールできることであるが他人から影響されるのがたまらなく嫌い。一度きりの人生を他人に踏み躙られうのは耐えられない。

ところでヴィクトールフランクルはご存じだろうか。このようなことを言っている。

刺激と反応の間には空間がある

これは7つの習慣でも出てきた言葉だ。その空間に、自分の対応を選ぶ力がある。その対応の中に、自分の成長と自由があるとも言っている。

そして反応する、つまり刺激を受け入れるたということは自分自身がその反応を必要としていたことになる。

これはアドラー心理学の目的論である。

様々な理由があるだろう。「悲しがっている自分を見て優しくしてほしい」「悲しいがることによって反省をアピールしている」「あなたより私が上だと示したいから声をあげて怒る」。

このフレームワークを知った時、私たちは自分の人生をどう生きるか。

私は強い意志を持って自分の人生に他者を介入させない。私は私の理想の自分に向けてただ歩み続ける。自分の道を歩み続ける。

さて、あなたはどう生きますか?


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