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サイダーの泡と真夏が溶けていく流星群の夜にさよなら

誰にも言わずに自分だけでひっそり勝手にやっている、お盆休みの密かな恒例行事が、ペルセウス座流星群を見ることだったりする。
今年は午前二時でも踏切でもなかったけど、自分の部屋のベランダで天体観測をした。


星空って目が慣れてくるとどんどん星が見えてくるもので、例えば故郷の山の中ではない程度の田舎でも、最初は一等星しか見えなかったのが、10分くらいすると三等星くらいまで見えてきたりする。
その点は街中の空でも同じかなぁ、どうなんだろうと思いながらベランダに出た。


とりあえずは月しか見えない。薄雲に覆われて朧げな、行燈の光みたいな明るさの、半月よりは少し太ったオレンジっぽい月。
残念ながら一等星すらロクに見えない。あれがデネブ、アルタイル、ベガ、すら言えない。
それでも明るい流星なら、一等星より明るくはっきり見えることもあるから、目を慣らすために夜空を眺め続けた。


流れ星、というより流星群を見るコツは少しだけ知っている。
毎年ニュースにもなるような活発な流星群だと、流れる星の数も多い。しかも『放射点』と呼ばれる、流星が飛び出してくるとされる場所は一応あっても、わりと空のあちこちを星が飛び交う。それも明るく大きく長いものから小さなものまで多数だ。
だから、放射点をじっと見つめるよりも、空の全体を見ている方が結果的により多くの流れ星を見やすい。見逃しにくいと言った方が正しいだろうか。


ひとまずは目を慣らすために、少し見えた気がした星をじっと見つめる。
どうやら一等星だったようで、一度見つめたらもう見逃すことはなかった。街中の薄明るい夜空でも星のちかちかした瞬きが分かって、ちょっとすごいなぁなんてにやにやしてしまった。
星の瞬きって確か、本当に星がちかちかしているわけでは当然なくて、空気中のチリとかそんなもので生まれた屈折だと聞くけど。そんなものに阻まれても届く、何億年も昔の光なんだよな、とため息がほうっと出た。


たぶんこれは夏の大三角の一角のどれかなんだろうけど、あいにく他の星がまったく見えないのでアタリすら付けられない。ベガかな。織姫様のベガだといいな。
実はスマートフォンには、星座盤アプリなんかも入れているのだけど、今回はかざす度になぜか星座盤の位置がズレていてはっきりしなかった。だから勝手に見えているのが好きな星だということにする。


相変わらず流れ星はまったく見えない。星自体、トータル10個見えるか見えないかだ。
何キロも先のタワーの光の点滅と、近所のアミューズメント施設のイルミネーションがめちゃくちゃ邪魔だ。というか、意外とすぐ近くのマンションたちの廊下の照明も眩しい。
明度彩度を任意でググッと下げられる、スマートフォンのカメラのフィルターみたいに、街中の照明も明るさを調整できたらいいのに。わりと本気で考えて、照明たちに手をかざすけど当然無駄でしかない。


しかし、意外と思ったよりベランダに居られている。
カウンターチェアを持ち出して座っているのも、室外機の上に置いた飲み物が準備されているのもあるけど、意外と蒸し暑くないのだ。
足元には室外機からの生温い風が吹き付けて、室内で稼働させているエアコンの働きを教えている。でも、顔を撫でる夜風はわりとじめじめせず涼しい。
あとは、ちょうどベランダでは夏物の掛け布団を干しているのが、良い感じにテントのような、覆い被さられている・包み込まれている感覚を与えてくれている。
物干し竿に組んだ腕を乗せるのも、ちょうど良い高さで安心してぼんやりできる。なんだかちょっと秘密基地みたいだな、とわくわくする。


子どもの頃とやっていることは同じなのに、ずいぶん秘密基地はグレードアップしたなぁ。
目の前にはボーダーの夏物の掛け布団がはためいている。これは秘密基地の入り口のカーテン。両サイドはベランダの仕切りがプライベート空間を確保してくれていて、後ろのガラス戸を開ければ、食べ物飲み物も完備した冷えた部屋が広がっている。

テーブル代わりの室外機の上には、柑橘系の甘酸っぱい炭酸飲料。故郷にいた頃は憧れだった、成城石井で買ったちょっといいサイダーだ。
星座早見盤代わりに使っていたスマートフォンはさておいて、接続したワイヤレスイヤホンからはフジファブリックが流れている。もうダメでしょう。たぶんこれがエモいってやつだ。去年の観測の時に「夏の深夜」なんてプレイリスト(実際のタイトルはカッコつけて英語だった)を作った自分、よくやった。


やっていることは、夏休みの絵日記に書けるほど大したことではなくて、どちらかといえばめちゃくちゃ地味だ。そもそも目的の流れ星なんて、多数観測するどころか気配すら感じない。
地味だし目的を果たせてないのに、なんだか無性ににやにやできるのはなんでだろう。
休日の二度寝より、友達と会って飲んでいる時より、めちゃくちゃ幸せだーって気持ちと穏やかな気持ちが溢れてきてにやにやが止まらないのはなんなんだろう。深夜のベランダでなければ歌い出したいくらいだ。


たぶん、ものすごくささやかなのだけど、いつかの私が願った夢がこの時間でこの場所なのだ。
誰にも怒られずに夜更かしをして、誰にも何も言われずに好きなことをしたい。できればそれが、今の自分が想像もできないような都会の大人になってできたらいい。
そう願っていた気がする私の願いが叶ったのが、このお盆休みの深夜の時間であって、この一畳あるかないかの街中のマンションのベランダなのかもしれない。


これってもう、死ぬほど好きな時間だ。
もし今私に家族がいて、室内から呼ばれたら。きっと邪魔しないでよと泣いて逃げたくなる。その懸念がないのが最高に幸せだと思う。
景色だけは残念ながら期待に添えていないけど、ベランダの広さも、吹く風の涼しさも湿度も、イヤホンから流れるセンチメンタルな音楽も、片手にしている飲み物も、すべてが静かなこの時間も。何もかもが好きだ。
今の私はひとりで、世間から見たら何も幸せじゃないのかもしれないけど、今この瞬間は胸を張って自慢できるくらい幸せだと言える。


いつもの朝になったら起きて化粧をして着替えて電車に乗らないといけないから、こんなこと毎日はできない。趣味と言うには限定的すぎる。
だけど、例え年に一回だとしても、誰にも取り上げさせたくないし邪魔してほしくない時間だ。
私にとってこの時間は、ガラス戸の中から私を呼ぶ伴侶や我が子がいることよりもずっとずっと大事だ。


子どもの頃とやっていることが同じだなんて笑ってみても、1年ごとに確実に年は取ってしまっていつまでできるかわからない。それでも好きだな。嫌いになることはきっと一生ないな。
お金や時間を注ぎ込んで、どこまでも追いかけるような情熱がある趣味ではない。だけど、毎年忘れられずに気が付いたらやっている。そんなこの行為の方が、私にはよっぽど私を構成する要素として大事なことな気がする。


こんなエモい気持ちも、どこかのベランダから漂いだした主張の激しいタバコの匂いが持って行くから、今日はおしまい。
流れ星は結局見られなかったけれど、思いがけず幸せな気持ちと時間は見つけられたからまあいいか。じゃあね、今日はおやすみ。


何かを感じていただけたなら嬉しいです。おいしいコーヒーをいただきながら、また張り切って記事を書くなどしたいです。