【小説】人を感動させる薬(12)

(前回)人を感動させる薬(11)


今日もジェイ編集はエル氏のアパートを訪れた。

今日はいつもと違って、エル氏のための食事だけでなく、例のファンレターの詰まった段ボール箱も携えての訪問だった。

エル氏は今日も相変わらず明かりもつけずにFPSゲームにかじりつきっぱなしだった。

「エル先生、いつも通り食事はここに置いておきます。

ちゃんと食べてくださいね。

それから、ファンレターが段ボール箱いっぱい来ていますから置いていきます。

必ず読んで下さい。

必ずですよ。」


そう言ってジェイ編集は食事と、ファンレターの入った段ボール箱を置いて帰った。


ジェイ編集が帰った後も、エル氏はしばらくFPSゲームを続けていたが、そのうち負けが込んできてつまらなくなり、食事を摂ろうと怠そうに台所に足を運んだ。

ジェイ編集の持ってきた段ボール箱がエル氏の目に留まった。

エル氏はなんとなくではあるが、吸い寄せられるように段ボール箱の中身を覗き込んだ。

ファンレターはどれも編集部あてで、アンケート用のはがきに感想がかかれたものもあれば、封書もあった。

封書は全て封が切られており、どれも何枚もの便せんの束が封筒の中からのぞいていた。

ファンレターの内容は、全てエル氏のデビュー作についてのものばかりのようだった。

エル氏が輪ゴムで止められたファンレターの分厚い束を一つ掴むと、束から何枚かの付箋が飛び出していた。

その付箋のついた封筒の一つをエル氏は引っ張り出し、読みはじめた。

「こんにちは、エル先生。

最近ふと立ち寄った書店で、かつてのわたしを救ったこの作品がたくさん山積みされているのを見つけ、うれしさとなつかしさの余り再び手に取った次第です。

当時のわたしは急性白血病で入院中の息子をかかえ、わたし自身も不況により会社をリストラされ、絶望に打ちひしがれていました。

息子の病気のことで気落ちしている妻にリストラのことを打ち明ける勇気もなく、家のローンも、息子の治療費もこの先払っていけるとは思えず、いっそ家族を道連れに死んでしまいたいとさえ思っていました。

リストラされてしまった次の日の朝、妻に会社に出かけると嘘を言って出かけたもののゆく当てもなく、ふと立ち寄った書店で、当時のわたしは偶然にもこの本を手に取りました。

書店で立ち読みを始めたのですが、主人公とその家族の境遇がとても他人事とは思えず、すぐさまレジに向かって支払いを済ませると、書店近くの公園のベンチで夢中になって読みふけりました。

解雇通知を受け生活がすさんでゆく元プロ野球選手の主人公の焦りや苦悩、家族との衝突、そして息子が急性白血病と診断された時の絶望、まるで自分のことのようでした。

もう一度バッターボックスに立つ父の姿をみたいという息子の言葉を聞いてから主人公が再起し努力する姿に、プロテストに合格しもう一度プロ野球選手としてバッターボックスに立つシーンに、そして、主人公のプロ野球での活躍により、息子の治療費を稼ぐことができ、ついに息子の白血病が寛解したことに、その数年後、退院した息子が、主人公に自分も父親のようなプロ野球選手になるのが夢だと告げるラストシーンに、そのすべてに涙が止まりませんでした。

無我夢中で読んでいたらしく、読み終えた頃にはとっくに日が傾き始めていました。

その日、帰宅した私は妻にリストラされたことを正直に伝え、必ずちゃんと仕事を見つけるし息子のための治療費も何とか稼ぐからどうかこれからも一緒にいてくれと必死で頭を下げました。

妻は正直に話してくれてありがとうと言って、私を見捨てないでいてくれました。

お恥ずかしい話ですが、この作品に出会うまでは、急性白血病がどのような病気なのか知りませんでした。

現在では必ずしも不治の病というわけではないということを、この作品を読んだのをきっかけにネットで調べて初めて知りました。

それまではリストラされるまで会社にしがみつくのに必死で、息子の見舞いにもろくにいかなかったため、医者の話をくわしく聞こうともしなかったのです。

父親失格ですね。

それからわたしは、夜は工事現場で交通整理のアルバイトをしながら、昼間は就職活動をし、その甲斐もあって地元の小さな清掃会社に正社員として採用されました。

初めてのことばかりの慣れない仕事で自分より年下の上司に叱られる毎日ですし、給料は前職の半分になってしまいましたが、家族のことを思うとそんなことは何でもありませんでした。

そのうち生活も安定し、息子の治療費も継続して払うことができ、先月ついに息子の白血病が寛解に至ったと主治医から伝えられました。

「お父さん、お母さん、ありがとう。」と息子から礼を言われたときは妻もわたしも涙が止まりませんでした。

あの時、先生の作品に出合っていなければ、きっと今のわたしはありません。

息子の治療はまだまだ続いていますし、生活も必ずしも裕福とは言えませんが、今、わたしは幸せです。

先生の作品の主人公ほど大きな舞台ではないですが、わたしはわたしなりの舞台の上で息子に立派な父親の背中を見せることができたような気がします。

かつてわたしが手に取った先生の作品が、時間を超えてわたし以外のたくさんの人々に勇気を与えていることは、まるで自分のことように誇らしいです。

わたしは、わたしの人生を変えてくれたこの作品が大好きです。

映画化された三作目も、その前の二作目もまた違った形で感動しましたが、わたしはやっぱり先生の作品の中でこの作品が一番好きです。

最初にこの作品が出版された頃は、先生もデビューしたてでこの作品もまだ広く世の中に知られていなかったのだと思いますが、きっと、やっとのことで時代が先生に追いついたのですね。

今改めて読み返してみて、当時の懐かしい記憶がよみがえるとともに、やっぱりこの作品は月日を超えても色あせることのない素晴らしい作品だと感じました。

最後にもう一度、わたしたち家族を救ってくれてありがとうございました。

これからもずっと応援しています。

お体に気を付けてこれからも素晴らしい作品を作ってください。 

エル先生の一ファンより」


(つづく)

次回 人を感動させる薬(13完)


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