【小説】人を感動させる薬(13完)


(前回)人を感動させる薬(12)


次の日、ジェイ編集がエル氏の家を訪れると、部屋の明かりがついており、エル氏は机に向かって思案していた。

パソコンの画面はいつものFPSゲームではなくワープロソフトの画面だった。

キーボードを打ちながらエル氏はジェイ編集に語りかけた。

「ジェイさん、どうやら僕はこれまでひどい勘違いをしていたようだ。

もともと僕が純文学にこだわっていたのは、純文学がエンターテイメント小説よりも高尚なものだと思っていたからだ。

純文学小説家として人間の弱い姿や愚かさをどこまでも現実的に描いて、表現や心理描写を独創的に書くことが出来れば、たとえ世の中の大半の人に受け入れられなくても、そのうち文壇に認められてデカい賞をもらえたり、時が経てば後世の人に認められて有名になれると思っていた。

そして、エンターテイメント小説のことを一般大衆ウケを狙って偽物の感動ばかりを求める小説だと見下していた。

でも、現実はどうだ。

今回の件で僕が純文学だといって書いてきた小説こそ偽物の感動しか呼び起せないつまらない小説だという事を思い知らされてしまった。

表現や心理描写にこだわるばかりだったり、やたら暗くて救いがないだけのストーリーを、これこそが現実をありのままに表したストーリーだと気取ったりで、僕の物語を誰かが読んで面白いと思ったり感動したりするかなんてこれっぽっちも考えていなかった。

売れなくて当然だ。

一方で、なかば投げやりに書いた嘘とご都合主義に満ち溢れたたった一つの娯楽作品が本当の感動を呼び起こして、嘘っぱちどころかどん底に落ちるはずだった見知らぬ誰かの運命を変えてしまったり、救ってしまったりしている。

現実にそんなことが起こっている。

それはなぜか、答えは簡単だ。

読者にとって一番大事なことは、その作品がその人にとって、今この時代、この瞬間に読んでよかったと思えるものかどうか、それだけだからだ。

面白かったり、ドキドキハラハラしたり、感動したり、人生観や価値観が変わったり、僕が本当に書かなきゃいけなかったのは、僕の小説を読んだ誰かが、何かしら読んでよかったと心から感じてくれるような小説だったんだ。

それには小説のジャンルなんて関係ないし、高尚か低俗かも関係ないし、ましてや賞が取れそうかどうかなんてまったく関係ない。

僕は、このことにもっと早く気付くべきだったんだ。

ジェイさんがずっと僕にエンターテイメント小説を書けって言い続けてきたのは、いつの時代の人も、たとえそれが嘘っぱちだと分かりきっていても、臆病な自分に勇気を与えてくれたり、迷っている自分が前に進めるように背中を押してくれる物語を求めているからなんだろ。

こんな簡単なことに、どうして僕は今まで気づかなかったんだろう。

これからは、世の中の人が僕の作品を愛してくれるように、僕の方から読者に寄り添うような作品の作り方を心がけるよ。

また誰かの人生にとって意味のある作品を書けるようにね。

僕にはそっちの方が向いているんだろ?」


「先生なら自分でそのことに気付いてくれると思いました。

これからもどうぞよろしく頼みますよ。

それでは先生、早速ですが次回作について話し合いましょう。

どうやら、もうすでにアイデアはわいてきているようですしね。」


その後、エル氏は四作目の小説を完成させ文句なしのヒットを出した。

デビュー作以上の出来栄えの、感動を呼ぶエンターテイメント作品だった。

出版前の原稿を読んだエイチ氏からは、ぜひ自分に単行本の帯を書かせてほしいとの申し出があった。

断る理由はなかった。


エイチ氏から入稿された帯の文章は

「文句なしの感動作。

この作品に心動かされる人がこの先どれだけいるだろうか。

生涯のライバルともいえる作家の出現に私はいま、心が躍っている。」

と綴られていた。


数年後、エル氏はとうとう純文学の国内最高峰の賞を受賞した。

本人はあれから徹底してエンターテイメント小説を書き続けていたつもりだったが。

オリジナリティあふれる文章表現と細やかな心理描写で彩られたエル氏の作品は世間の評価では純文学のカテゴリに入るものらしい。

受賞が決まった翌日の夜、エル氏とジェイ編集は都内のホテルの最上階のラウンジでワインの入ったグラスをチン、と重ねた。

エル氏は上機嫌でジェイ編集に語った。

「何年前だったっけな、あのときジェイさんが言った通り、作品のカテゴリなんて僕らで決められるものじゃないんだなぁ。

エンターテイメント小説をずっと書いていたつもりが、純文学の賞をとっちゃうんだから。

そんなことよりも、僕らがこれからも一番に考えるべきことは、どうすれば読者の心に残る作品を作りつづけることができるかだな。

それはこれからも変わらない。

まぁ、かつての僕にそのことを気付かせてくれたのはジェイさん、あなたなんだけどね。

独りよがりな作品作りにこだわるあまり崖っぷちに立たされていたはずの僕に、例の薬であなたはもう一度だけチャンスをくれた。

今の僕が大切なことに気付けて、今こうして作家として成功できたのも、あのときジェイさんが僕を見捨てないでいてくれたおかげなんだ。

改めて礼を言うよ。」

そして二人はグラスの中身を飲み干した。

実は二人とも酒がまったく苦手なのだが、ケイ博士が苦心の末、最近やっと完成させた『どんなものでもものすごくおいしく感じる薬』をほんの少し混ぜて飲んだため、心地よく勝利の美酒に酔うことができた。

(おわり)

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