【小説】人を感動させる薬(11)

(前回)人を感動させる薬(10)

エル氏が一日中ゲームばかりして次回作に手を付ける様子が無いことは、編集長にも相談したのだが、編集長は「あれだけのヒットを飛ばして忙しかった後なんだから、エル先生も少しは充電期間をとってゆっくりしてもいいんじゃないか?」といって取り合わなかった。

ケイ博士にはもう秘密にする必要はないと言われたものの、さすがに編集長には『人を感動させる薬』のことを言う気にはなれなかったので、当然の反応であった。

 「それより、三作目のヒットでエル先生の知名度が上がったからだろうが、過去作が売れてきているらしいぞ。

特にエル先生のデビュー作が徐々に売り上げを伸ばしていて来ていて、ファンレターまで来ているときいたぞ。

ジェイ君、このところ君も忙しかったからファンレターなんてチェックする暇はなかっただろう。

この際ゆっくり目を通しながら今後の作品の戦略でも考えてみたらどうだ。

これもマーケティングの一環だ。」


三作目のヒットのおかげでエル氏の過去作が売れてきていることは、当然ジェイ編集も耳に入れている。

なので、デビュー作と二作目の再販や増刷の際も、忙しい合間を縫って印刷会社に足を運んで『人を感動させる薬』を混ぜたインクの缶を使うよう印刷機の担当者に依頼することに余念がなかった。

そして、エル氏の過去作のうち二作目の売り上げが早々と頭打ちになっていること、それに対して、デビュー作の売り上げだけが今でも伸び続けていることを、データとして把握していた。


ただ、ファンレターについては初耳だった。

三作目の小説と映画がヒットした時も、SNSでは評判になったがファンレターなんて来る様子はなかった。

結局は『人を感動させる薬』によるその場限りの偽物の感動は、読者にファンレターを書かせるほどの動機につながるものではなかったということだろう。

そして、本当に感動する作品には、薬の効果があろうがなかろうが、読んで心を動かされた人に行動を起こさせる強い力があるということだろう。


社内の担当者にファンレターのことを尋ねると、編集部あてのエル氏の作品に対するファンレターは既に段ボール箱いっぱいになるほど届いていた。

ジェイ編集は編集部の自席に腰かけると、ファンレターを一つ一つ読み始めた。

ファンレターはどれもエル氏のデビュー作に対してのものだった。

その数はいまだにとどまらず、一昨日1通、昨日2通とまだまだ届いてきているらしい。

SNSでエル氏のデビュー作のタイトルをサーチすると、やはりエル氏の隠れた名作として評判が広がりつづけているようだった。


それから数日、ジェイ編集はファンレターを仕事の合間合間に、エル氏のアパートへの往復の時間に、そして帰宅する時も持ち帰って読みふけった。

すべて読み終わるには一週間が必要だった。

この一週間、ジェイ編集はファンレターの中でぜひエル氏に読んでほしいと思うものに付箋を貼っていき、再び束にして元の段ボール箱に納めていった。


(つづく)

次回 人を感動させる薬(12)


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