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A Course in Miracles 取り組み方と秘訣

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A Course in Miracles を学んでいく上での重要なこと、注意すべきこと、知っておいたほうがいいこと、などについてのコラム
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#目覚め

スピリチュアルの名のもとに隠された「神秘」のトリックが明らかになるとき

スピリチュアルの名のもとに隠された「神秘」のトリックが明らかになるとき


「明晰さ」について明晰さ。

それは、正気のマインドのことを言うのだといえます。

それを、コースでは正しい心(聖霊)と呼んでいます。

というのも、正しい心(聖霊の視点)から眺めるとき、そこから見るすべてが明瞭になるからです。

聖霊、イエスが見ている知覚とは、そのようなものです。

それを、「聖霊の視点」とか「聖霊のヴィジョン」と呼んでいます。

そこには、「明晰さ」「静けさ」があります。

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聖霊のヴィジョンを受け取るために注意すべきこと

聖霊のヴィジョンを受け取るために注意すべきこと

聖霊の答えとは?聖霊のガイダンスとは?例えば、誰かを裁いている、攻撃しているときに、

自分がしていることについて、

「これが本当に自分を幸せにするのだろうか?」

というふうに疑問を投げかけるならば、当然、内なる正気の声は「NO!」と答えてくるはずです。

もっといえば、

自分が思考している(考えている)ものについて、

「イエス(聖霊)はこのように考えるだろうか?」

というふうに自分の思

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「百匹目の猿現象」について

「百匹目の猿現象」について

神の教師は一人で充分です巷のスピリチュアルやニューエイジの考え方において、「百匹目の猿現象」的な考え方があります。

それは、「ある行動、考えなどが、ある一定数を超えると、接触のない同類の仲間にも伝播する」という超常的な考え方です。

特に、「アセンション」や「目覚め」といったものをこの地上における意識進化として捉えているスピリチュアリストたちにとっては、その考え方が大いに信じられていると言うこと

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わかっちゃった!?とはいえ、それがゴールではありません

わかっちゃった!?とはいえ、それがゴールではありません

「わかっちゃった」ということが目覚めではない非二元(ノンデュアリティ)や悟りについて語るとき、「わかっちゃった」とか「わかちゃった人」という表現でなされています。

「わかっちゃった」とは、「自分たちは本当はすでにわが家にいる」ということを深いレベルで一瞬だけ思い出したということなのでしょう。

いわゆる、私たちが知覚しているこの世界は「わが家(天国)から離れた」という幻想(夢)だったとわかった、

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