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2021年8月の記事一覧
私たちはどうやって価値判断なしに、あるがままに見れるようになっていくのか?
どれも等しく自我であり、同じ幻想である 私たちは「自分はこの世界に居る」と信じています。
ということは、「自分は肉体である、自分は人間であると」信じているということでもあります。
それが何を意味するのか?というなら、
つまりは、本当の自分(真の自己)を忘れて、自分が何者なのか?がまったく分からない状態になっているということです。
自分の本性をすっかり忘れて、「自分は肉体である」「自分は人
どのようにしてこの時間と空間から脱出していくのか?
「今」にいない私たちの思考自分の思考を観察すれば、その思考はいつも過去か未来かのどちらかに飛んでばかりいて、今(現在)にいないことが認識できます。
常に、過去か未来かのイメージ(思考)にとらわれているといいましょうか。
そう、時間の中に入り込んでしまっている自分に気づくわけです。
「時間の中に入り込む」とはどういうことなのか?
というなら、つまりは、あたかも過去から現在そして未来へと時間
ネガティヴな感情にとらわれたとき、動揺したときこそがまさに練習のときです
「静けき中心」へと還るなぜ私たちはいつも心配、不安、不平不満といったネガティヴな感情にとらわれてしまうのか?
というならば、
私たちは、じつのところ、「平安」「静けさ」というものを嫌っているからなのだと言うことができます。
そのためにいつも心配、不安、不平不満でいようとするということです。
それが自我というものであり、自我にとっては「平安」「静けさ」というものは敵なわけです。
そして、私
自分はいない、それはつまり、自分は全一なるひとり子であるということ
「心を忘れた状態」から「心を自覚した状態」へ私たちは自分たちのアイデンティティーを忘れて、肉体の自分とすっかり同一化してしまった状態になっています。
それを、「心を忘れた状態(マインドレスネス)」と呼んでいます。
自分はこの世界の夢を見ている「心」なのだということをまったく忘れているわけです。
その「心」である自分を思い出していくための手段として、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)
真の知覚(ヴィジョン)はどのようにして開かれていくのか?
この世界をどちらの目的で見るか真理から見れば、肉眼で見ているこの世界は、じつのところ、まったくの幻想であり、無意味であると言うことができます。
ただし、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践においては、この世界をただむやみに否定していくのではないということを知っておきましょう。
コースの実践で私たちに求められているのは、この世界をどちらの目的で見るか?ということです。
それは、自我