マガジンのカバー画像

A Course in Miracles 学習&実践レポート

107
『A Course in Miracles』(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、もりGが体験的に理解したこと、実際に修得していっているもの、その成果として体…
運営しているクリエイター

2021年5月の記事一覧

コースの学びのはじまりから現在に至るまで

コースの学びのはじまりから現在に至るまで

もりGのコース学習歴2008.10
『A Course In Miracles (ACIM)』と出会う。コースは純粋な非二元のスピリチュアリティ(霊性の道)だと確信し、コースの学びがはじまる。

2012 - 2016
コースの学びのプロセスにおいて数回にわたって覚醒体験を繰り返す。幾度かの覚醒体験を重ねたこともあり、コースを学び終えたと勘違いして、コース学習から離れた時期を過ごす。

2016.

もっとみる
他人を責めたくてしょうがない、裁かずにはいられない、そんなときどのように対処していくのか?

他人を責めたくてしょうがない、裁かずにはいられない、そんなときどのように対処していくのか?

自我を正視する、自我を咎めずに見る他人を責めたくてしょうがない、誰かを裁かずにはいられない、誰かを批判、攻撃、咎めずにはいられない、、、

でも、もうそれをやめたい、その闘いをやめたい、終わりたい、、、

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を実践していくとき、誰もが裁きや攻撃がやめられない自分を自覚していくことになります。

そんな自分に対してどのように対処していくのか?

というならば、

もっとみる
コースでいうところの「心」は一般的にいう心の概念とはまったく異なる

コースでいうところの「心」は一般的にいう心の概念とはまったく異なる


コースでいう「心」についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)でいうところの「心」の概念は、なかなか捉えにくいものだといえます。

というのも、コースでいうところの「心」は、私たちが通常一般的に捉えている心とはまったくちがうものだからです。

コースの学びがまだ浅い段階においてはそのことを知らずに、コースでいう「心」をいわゆる頭脳(個人の心)と勘違いして捉えていることがよくあります。

もっとみる
他者を自分と同じ「兄弟」として見る

他者を自分と同じ「兄弟」として見る

コースでいうところの「兄弟」についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)で「兄弟」という言葉が使われていますが、それは「他者」とは別の意味として表現されているということを知っておく必要があります。

では、兄弟とは何なのでしょう?

もちろん、学びはじめの段階においては、「兄弟(姉妹)」と呼ぶとき、他者のことだというふうに捉えても仕方のないことでしょう。

ただ、コースの学びが深まっていくに

もっとみる
この愚かさに平安あれ

この愚かさに平安あれ

肉体と同一化している「私」肉体である自分を「私」だと信じている。

人間である自分を「私」だと信じている。

そのように思考しているこの自分を「私」だと信じている。

自分だと思っているこの自分を「私」だと信じている。

その「私」は、非二元(ノンデュアリティ)の教えを学んで「この世界は夢だ、幻想だ」と知的理解としては分かっているつもりでいる。

でも実際のところは、「この世界は幻想であり、実在し

もっとみる