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#自我を咎めずに見る
問題があるところの同じ場所に、その解決法もある
問題は一つ、解決法も一つ私たちが現実と捉えているこの世界では、様々な問題が形を変えて現れてきます。
次から次へとまるで問題が尽きることがありません。
私たちはその問題を解決することに日々追われていると言うことができます。
人生の大半がそのことで費やされているとさえ言うことができるでしょう。
私たちはそのようにして常に目の前の世界、目の前の人生と戦っているといえます。
コース(奇跡のコー
「兄弟の中に愛を見る、兄弟の中のキリストを見る」ということについて
自我/幻想を看過して見るコース(奇跡のコース/奇跡講座)では、「兄弟の中に愛を見なさい、兄弟の中のキリストを見みなさい」というふうに述べられています。
なので、私たちはついその言葉通りに、「相手の中に愛を見る、相手の中のキリストを見る」というような実践をしてしまうことになります。
ここで私たちがよくよく理解しておかなければならないことは、相手を自分とは異なる他者として知覚しているなら、他者の中
これは思考を逆転させていく道である
泣きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。悲しみなさい。心配しなさい。不安になりなさい。
通常、私たちはそれらをネガティブなものとして捉えて、それらをなるべく小さくしようとしたり、抑圧、排除(隠蔽)しようとします。
じつは、そうすることによって私たちはそれらになおさらパワーを与えているいる、つまり実在化させているということを知っておく必要があります。
それによって葛藤が生じて、私たちはなおさら苦
無慈悲、不親切、自己中心的、不正義な自分とどう向き合っていけばいいのか?
無慈悲で、不親切で、自己中心的、不正義な自分コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で私たちが知っておかなければならないことは、「自分はこの世界に居る」と信じているということ自体が、すでに自我と同一化した状態になっているのだということです。
つまり、今や私たちは「自我」というニセモノの自分と同化してしまって、それを自分だと信じ込んでいるということです。
ですから、そのニセモノ
闇を通り抜けていかないかぎり、光に到達することはできない
ラディカルな霊性の道コース(奇跡のコース/奇跡講座)がどういうものであるか?
その内容を真に理解するならば、コースを喜んで学ぼうとする者はほとんどいないと分かるでしょう。
ようするに、このコースは誰もが歩むような霊性の道ではないと分かってくるということです。
というのも、このコースは、罪悪感、恐れといった無意識に隠された心の闇の部分と向き合っていくことが求められているからです。
私たちは