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『応援する気持ち』でたいていの人間関係は上手くいく気がする話。

マウンティングとか、嫉妬とか。

そんなん漫画の中でしかないでしょ、と思いきや、意外と身近にいたりする。

私は、『自分軸を取り戻す』と決めた今年から、そういう雰囲気を醸す人とは徐々に距離を置くようになった。

生産性のない負の感情に引っ張られるなんて、限られた人生の時間がもったいないからだ。

1年前はここまで言い切れなかった気がするので、だいぶマインドが変わっている!

そして、私はコンプレックスだらけの割には、人を羨んだり、妬んだり、という感情をほとんど持たないことにも気づいた。

それをはっきり認識したのは、先日、プレジデントオンラインでこんな記事を目にしたからだ。

目を引くためにあえてどぎついタイトルにしてるのだろうが、専業主婦をバカにする共働き女性に今まで出会ったことがない。あくまで私の周りの話だが。

むしろ、子と向き合って、専念して、偉いよ!とリスペクトしている感じの人が多い。

この記事の終盤に、

 働く女性ならば、子育てがうまくいってなくて、『専業主婦だったらよかったのに』と思っていませんか。専業主婦ならば、働くことへの夫の無理解や非協力な態度があるかもしれません」

 自分の怒りの原点をこそ見つめてほしいと訴える。
https://president.jp/articles/-/64017

とあり、自分と異なる立場の人への想像力と、怒りの元になっている自分の本心と向き合う必要性を説いている。

本当にそれはそう思う。

ちなみに、私の周りでは、専業主婦の方が、ワーママに対して、
『旦那さんの稼ぎだけでは食べていけないの?かわいそう』
『本来やらなければいけない子育てを人に任せて稼ぐことに決めたんでしょ?』
みたいに言っている人がいたりしてびっくりする。本心なのかは不明だが…

働くことにお金を稼ぐ以外の意義があるとか、
育児との兼ね合いに悩みながらも働かざるを得ない事情があるとか、そういう状況を想像できない人が意外に多い。

もし、想像できないなら、
または、自分の本心と向き合うことも難しいなら。

「ただ応援する気持ちを持てないだろうか」

と思う。

自分の立場や感情のフィルターを取り除いて、客観的に『お疲れ様です。頑張ってますよね』と思うことはそんなに難しいだろうか。

専業主婦5年間で自己肯定感が下がりまくって、子育てに集中できなくて、自己嫌悪に陥って、という負のループにハマっていた自分からしたら、『専業主婦やるって根気すごいです、毎日お疲れ様です!』と思う。

一方、ワーママには、『時間に追われながら、仕事と子育てとの両立、本当にお疲れ様です!』と思っている。

私は在宅だから、『出勤してる人は本当にお疲れ様です!』だし、

同じ在宅ワークをやっている人には、『人に会えない寂しさやもどかしさもありますよね、孤独感、大丈夫ですか。お疲れ様です!』と心の中で思っている。

そんなふうに、誰もが誰かを応援するのが当たり前の世の中であればと思う。

この応援する気持ちは、子育てにもなかなか使える。

学校から帰宅した長男に『今日は校内マラソン頑張ってたね、元気もらったよ』と言えば、順位が遅いことを気にしていた長男も嬉しそうにいつもより早く宿題を始めたりする。

次男が園に行きたくない日も、『きっと楽しい日になるよ。ママお仕事しながらずっと応援してるからね』と言えば、最終的に笑顔で登園する。

自分でなんでもやりたい盛りの長女。朝から自転車のシートベルトを必死に自分で締めようとする姿に、頑張れ、きっとできる、と念じれば、急かさずに付き合えて、結果近道だったりする。

もちろん余裕のないときもたくさんあるのだけど。笑

また、仕事が辛い、転職したいと言いながら、なかなかアクション起こさず、夜遅く帰宅し、仕事の愚痴を言う夫に無性にイラついた今週。

子どもへの接し方が最近またキツイことも相まって、
『もう少し、人生を楽しもうと思える人と結婚するべきだった』
などと、コントロールできないほど悲観的になったりしたが、応援する気持ちがこの場合効かないだろうか、と必死に考えてみたら、

『きっと何か考えがあるんだろう』
『今の仕事で何か結果残そうともがきながらも頑張ってるのかも』とだんだん思えてきて、

ただただ、応援してみるか。とスッと腹落ちした。

自分にとってどうか、自分と比較してどうか、は置いといて、その人一個人を、自分の感情と切り離して幸せを願えば、よほどこじれた人間関係じゃないかぎり、うまくいくのではないかという気がしてきた。

なお、この『うまくいく』というのは、仲良くするということだけではなく、適切な距離を確保する、という意味だ。

心地よくなければ、その人の幸せを祈りながら離れれば良いだけ。

何より、誰かを応援する気持ちは、最終的には自分へのエールとなって返ってきて、思わぬ幸福感をもたらしたりもするから。

p.s.よほどこじれた人間関係というのは、我が家の隣人。ゴミのマナーが悪く、昨年遠慮がちに改善をお願いしたところ、険悪になってしまった。この隣人の幸せを願い応援する気持ちは…私には当分無理そう( ;  ; )苦行。

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