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「お子さんは」と訊いたけど、子どもに興味があったわけじゃない。

今年度、地域の公民館の職員さんとの関わりが増えた1年だった。

民生委員(主任児童委員)として子育てイベントのお手伝いをしたり、小学生の居場所づくりを企画したり、地域交流イベントに運営ボランティアとして参加したりと、地域の福祉サービスを利用する側から、提供する側を少しだけ体験できた2023年度であった。

奈良に来て、8年。
ずっと利用者として、公民館には親子でお世話になっていたけれど、イベントの企画や手伝いを通して、地域のつながりを自分たちで作っていくんだ、という当事者意識を持てるようになったことは、自分にとって良い経験だったと感じている。

昨年12月に、忘年女子会と称し、公民館の職員さん2名と連れ立って、近所のパスタ屋でランチタイムをともにした。

職員さんのうち、
1名は50代の、つかみどころのない面白い女性館長さんで、
もう1名は私より何歳か年下で、公民館の仕事が天職だという熱意のある女性だ。
ご実家のおばあちゃんの介護で、家を出ていきそびれてしまったと聞いている。

パスタを注文したあと、今年はいろいろお世話になりました〜と感謝を述べているうちに、
子ども向けのイベントで数年に渡って参加していることもあり、

「長橋さんの長男くんは、本当に電車が好きだよねぇ」とか
「次男くんももう小学生か、早いなぁ」など我が家の子どもたちに関心を寄せてくださった。

館長さんの、子どもの生態を面白がる口ぶりがなんとも愉快で、ご主人がいらっしゃることは以前聞いていたので、なんとなく高校生か大学生くらいの息子さんがいるような気がして、

「館長さん、お子さんは…」と訊いてみた。

館長さんは、
「うちは子どもいないのよ~」とおっしゃった。

その瞬間、「あっ、しまった」
と思った。

「そうなんですね…!なんか、すごい母性を感じたもんですから」

と言うと、館長さんは
「主人がね、すごく手がかかるから。それでかな。笑」
とノロけるような返しをしてくれたので、その後はご主人の話題になった。

館長さんの切り返しに感謝しつつ、
もしかしたら、館長さんの胸をズキッとさせてしまったかもしれないな、という罪悪感を頭の片隅に追いやるのに必死になっていた。

しかし同時に、その罪悪感は、私の勝手な思い込みでありますように、ともどこかで願っていた。

もしかしたら、子を望まずにいたのかもしれないし。

あるいは、望んでいたとしても、夫婦2人の生活に満足されているような気もして。

個人的には、産んだら後戻りできないだけで、子のいない人生も幸せだろうなと思っている。

言い訳がましいのを承知の上で書くと、
私は、館長さんご自身に興味があった。

館長さんの生活サイクルや、趣味や価値観、そんなものを知りたくなった過程で、ついお子さんは、と口走ってしまったのだった。

例えば、子どもがいたら、協力者がいない限り、子に合わせた生活サイクルにならざるを得ない。そんな制限があるか否か。

あるいは、子どもがいたら、条件を優先して、やりたい仕事を諦めて別の仕事をしている場合もあるが、そんな可能性があるか否か。

その人を知りたいと思えば、どんな環境に置かれているのかを知りたくなる。
そのとき、お子さんはいるのか気になることがあるが、子がいるかどうかを知りたいわけじゃない。知りたいのはその先の話なんだ。

ただし、知り合って間もない人や、個人的に食事に行くような仲でなければ、私はそのようなことを訊くことはない…はず。

どんな立場だろうと、
私が話したいことは、知りたいことは、
どんなことが好きで、何を目標や生きがいとしていて、どんなふうに生きている方なのか。
それだけが興味の対象だったりする。

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