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無理しなければ、優しくなれることがやっとわかってきた。

今日、長男が、Z会の添削問題(国語)をやっていて、「ママ、わからない」と助けを求めてきた。

私は、問題文を一緒に読み、「この中に答えがあるよ、もう一回落ち着いて読んでごらんよ」と言った。

それでも難しいというので、手掛かりみたいなものも提示してみた。

しかし、長男は「もうダメだ、全然わかんない。難しすぎる。この問題がひどい」と八つ当たりをして泣き始めたので、そろそろ夕飯の支度せねばと台所に向かいかけた私はイラついた。

ただ、聞けば、宿題もやったあと、添削問題の算数、理科、社会を終わらせた後だという。

「そりゃぁ疲れてるんじゃない。国語だけ明日に回せば?明日の自分ならまたできるかもしれないよ」

と言ってみたが、泣いてる彼の耳には届かず、この問題が悪い、明日になってもできるわけない、もう二度とこの問題見たくない、などと言い出す始末。

私は「問題のせいにして、できないって決めつけるなら、もうZ会やめたら?」とキツく言って突き放した。何も言わなきゃいいのだが、長男の泣き叫びが正直うっとおしい。

毎月、学習カレンダーなるものを作成しているようで、本当なら火曜日に添削問題を2教科終わらせているはずだったらしい。

しかし、月〜水まで学級閉鎖で、さらに弟、妹も休んで一緒に遊んでしまったので、やっておらず、木曜日である今日、必ず4教科終わらせねばと決め込んでいた模様。

また、毎週金曜日は、宿題も習い事もZ会もやらずに、だらける日にしていると、かねてより公言していた。

長男は真面目で、こうと決めたらこうでなきゃ、という部分があり、もう少し、柔軟になれたら彼自身楽だろうなと思うところがある。
計画通りがんばろうというのは、私にはできないことなので、やるなぁ、とは思うのだが…

ひたすら泣き続ける長男だったが、少し落ち着いた頃に、先日の私の法要での話をしてみた。

こうしなきゃと自分を縛り付けてしまうと、自分に対して優しくしていないから、他者へも優しくなれないと気づいた話だ。

しかもこの日の法事のあと、夫はしみじみと私にお礼を述べて、「知ちゃんは優しいよね」と言ったので、とても驚いた。

確か1年くらい前には、私のことを
「うーん、優しくはないよね」と言っていたのだ。

同じことをしていても、義務感でやっていることは、周りにもそれが伝わり、緊張感を与えるんだろうなと思う。

その話も長男にした。
自分に優しくしていると、それが人にも伝わるってママは最近知ったんだ、と伝えたかった。


長男は、黙って聞いていて、
「泣いてちょっとスッキリしたから、国語やるわ」と言ったので、

「無理しすぎるの良くないよ。やりたいと思ったらやんなよ」と言ったが、その後自分で解けていたようだった。

今この記事を書いてる横で、長男が寝言を言っている。
どうか、夢の中でまで勉強していませんように。

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