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夫の実家で、やりたいようにやってみた七回忌。

今日、夫の母(私にとってお姑さん)の七回忌の法要があった。

高齢化で、参加できる人数が三回忌のときより若干減ってはいるが、久しぶりに会う6名の親戚が来て、大人9名、我が家の子ども3名の、計12名のほどよく賑やかな法要となった。

私はこれまで義実家での法要の際、
「私にはこれが求められてるんだろうな、私がやらなきゃ誰がやる、それに良い嫁と思われたい」という、義務感や他人目線で立ち回ることが多かった。

そして終わったあとはクタクタだった。

しかし今日は、「やりたいようにやってみよう」とかなり意識して過ごしてみた。

結果、三回忌のときと、やってることは実質変わってない気がするが、心持ちが全然違うなと感じた。終わった今、眠くて仕方ないが、心は清々しくて、いい1日だったなと思う。

やったことを振り返ってみると、

お茶出しや、仕出し弁当の吸い物の支度などは、遠路はるばる来た方へせめてものおもてなしで、私がやる。

気を遣わずに、話したい人に、好きな話題で話しかけてみる。

喋りすぎてるのと、子どものトイレ付き添いなんかで、お弁当を食べ終わるのが一番遅い私だが、気にせずゆっくり食べて、片付け始めた人たちに慌てて加わらない。食べたいように食べ続ける。

帰るという人には「えーもう帰るんですか、もっと喋りたかったのに」と遠慮なく言ってみる。

茶碗洗いは、普段会わない人同士で話してほしいから、私がやる。

お客さんたちが帰ったあと、夫とお父さんがゆっくり話す時間があったらいいなと思い、子どもたちを公園に1時間弱連れ出す。

お父さんと私の2人になったときに、年末年始の過ごし方を提案され、何年もモヤモヤしていたので、思い切って、
「お父さんは、本音は、どうされたいんですか?」と聞いてみる。

など。

我慢しない、無理しない、ってとても楽だし、自分にも人にも優しくなれるんだなと、今、ちょっとした発見でもしたような新鮮な気持ちでいる。

私はすぐに「良かれと思って」と、人に好意を押し付けるところがあり、そのくせ知らず知らずに、ストレスを溜めるという超絶めんどくさい性質だと自覚している。私のその気質は、義実家での振る舞いで特に発揮されてしまっていた。何年もの間。

だから、今日は、一つ一つの行動に対し、自分の意思を確認しながらやってみたのだった。

こういうスタンスで過ごせば、
「私も頑張ってるんだからあなたも頑張ってよね」「感謝してよね」みたいな、他者への無用な圧を与えなくてよくなる気がしている。

これからも、
「やりたいようにやってみよう」を続けてみたい。



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