見出し画像

自分軸を優先してたら、優しさってなんだろうと混乱してきた話。

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

新年早々色々あり、嫌な感情に支配されてしまい、そのことでなんとなく初動が遅れた感がある。笑

新年から毎日noteを更新してる方って、本当にすごいなと思う。
私も今年は、毎日更新目指してみたいなぁと一瞬思っただけで、すでに5日も過ぎてしまった。

今年も書きたくなったら書くというスタイルを続けそう。

今年もよろしくお願いいたします。

*****************************

年末年始は、自分の家や、ご実家などで、ゆっくり過ごされる方が多いだろうと思うが、

関西在住の我が家は、12/31から1泊で、同県に住む義父と福井県へ温泉旅行に行った。

夫の弟夫婦は関東にいるのだが、今年は中学受験をする子どもがおり、関西に帰らないということで、昨年とは違う過ごし方を義父が提案してきたのだった。

1日目はお城を見に行ったり、宿のカラオケで歌ったりと楽しく過ごしていたが、

2日目に行った水族館で、癇癪持ちの5歳の次男に義父がずっとイライラと怒って、頭ごなしに言うことを聞かそうとしたり、『子どもじゃないんだから!』と叩いたりしたので、我慢できず『まだ子どもです!』と反論してしまった。

※その場に夫はいなかったので、そのあと義父のいないところで夫に伝えると、驚いて「迷惑かけてごめんね」と謝られたが、夫からの謝罪を求めていたわけではなかった。

70代半ばの人には、きっと私たち以上に子どもの声がうるさく感じるだろう、子育てに関わってこなかった人だから、子どもとの関わり方がわからないのも仕方ない、私だって手のかかる子にはどうしようもなくイライラしてしまうのだから、と自分に言い聞かせるが、どうにも怒りが収まらない。

1、2ヶ月に1度は、実家を訪問しているし、次男は人懐っこい反面、手がかかる子という話もしてきているので、次男の人格はわかってはいるはずなのだが、長時間一緒にいて、限界だったんだと思う。

でもそれなら、年末年始に旅行なんてして一緒に過ごすのは難しいのでは?一緒に過ごすからには、子どもってこんなもんと耐えてもらうか、別行動する方がよかったのでは?

私の中の理想の祖父母像は、親に怒られてる孫に寄り添う優しい存在であってほしいということも、義父にモヤモヤする原因の一つだと思う。

義父との年末年始の過ごし方を、義母が亡くなってからの5年間、毎年模索し、年々義父のことを苦手に感じ、最適解を見つけられないでいるところに今回の旅行。

自分軸思考への転換のためには、会いたくない人には会わないと決めた私。

今後、それを義父にも適用していいものだろうか?

「そういうわけにはいかない」

↑あぁ、これは他人軸思考だ。
こうあるべき、親戚からお咎めにあうかも、夫や子たちにとっても、良いことではない、と自分を説得している感じ。

「一人で侘しい年末年始を迎えさせるのは忍びない」
 
これは、前から思っていたことだが、今同じことを思っているかと聞かれたら、ちょっと自信がない。
この気持ちは優しさなのか、それともやっぱり、こうあるべき、の他人軸思考なのか。あ、他人軸思考の優しさ=偽善なのか?

混乱して、まったく答えが出ない。

ちなみに、私の北海道にいる父親には夫を5年間会わせていない。私と子どもたちだけで昨夏3年ぶりに帰省した。

私の実家の人間と夫の間で板挟みになって気疲れするのが目に見えているので、私自身の考えで勝手にそのようにしている。

もしかしたらそのせいで、私は「夫の親に会ってあげている」という感情を抱いてしまっているかもしれない。

自分軸思考を貫けば、優しさや常識に欠ける行動となりそうで、私にとっては今、この問題の着地点が全く見えないでいる。

しかしこの問題をクリアできたとき、私は完全な自分軸思考を手に入れている気がしてならないので、もう少し先の自分自身に期待してみたいと思う。

新年早々暗い話をしてしまいました。
でも、この本音をどこかに吐き出さないと前に進めない気がして。

あなたはこうするべきよ!あなたみたいな人はこんな本を読んだらいいよ!というご意見がありましたら、コメントいただきたいです。知恵袋みたいな使い方してゴメンナサイ。

次回の投稿では、2023年にやってみたいことを書こうと思います!

スキとコメントが何よりの励みです!