見出し画像

自分の軸

たまに自分の軸がブレているな、と感じることがある。
仕事や講義から家に帰って、何もすることが思いつかない時にそう思う。
「あれ、なんのために必死こいて生きてたんだっけ」みたいな。
朝まで飲んだ時や、家を長く開けなければならなかった時、論文やレポートを提出した時、繁忙期が終わった時などによく起こるようだ。
周囲に流され、ルーチンワークを崩され、目先の物事に対処していると、簡単にそうなってしまう。なんて弱い人間なんだろうといつも思う。

だがそうした時、私は人生の節目節目で私を奮い立たせてくれた言葉を思い出すことにしている。
例えば、宇宙兄弟シャロンの言葉。

『宇宙兄弟』より

迷った時、この言葉は結構救いとなってきた。
将来が不確定なこの時代では、「将来のための勉強」とか「自己成長」とか、そういうものを求められがちだと思う。
でもそうしたものに囚われすぎていると、ふと何をして良いかわからなくなる。
将来性とか名声とか、そういうものに振り回されて、何をすべきか決められなくなる。
その時この言葉を思い出すと、「こっちの方が楽しいな」という自分自身の判断で物事を決められるのだ。
自分自身の楽しいことを探せるのだ。
私はそうして、いろいろな判断をしてきた。当然、辛さもあるし、時には後悔したくなる。だが、これは他の誰でもない私が選んだんだという爽快感が、力をくれる。
だから私はこの言葉が好きだ。


あとは、例えば化物語の忍野メメの言葉。

『化物語』より

「ひとは一人で勝手に助かるだけ」だと、彼は言う。
これは物語では結構重要な言葉であるが、化物語を初めて読んだ中学生の頃にはあまり響かなかった。
だが大人になり、どうしようもない辛さや苦しみの中で、「誰かなんとかしてくれよ」「助けてくれよ」と思った時、この言葉が胸に刺さってきた。
自分を助けることができるのは、結局自分だけなのだ、と。
私が苦しんでいることは、周りの誰かが「休みなよ」とか「わかるよ」とか言ってくれて解決することなのか?、と。
いや違う。苦しんでいるのも、辛さを感じているのも、「私の問題」なのだ。
どれだけ周囲が助けてくれようとも、環境が変わろうとも、私が変わらなければ救われないのだ。
そしてそれができるのは、やっぱり私だけなのである。
ちなみに忍野メメのことを、後輩が「胡散臭い櫻井孝宏」と言っていた。まったくその通りである。

あとは例えば、ベタかもしれないが煉獄さんの言葉。

『鬼滅の刃』より

日本で一番有名な遺言なんじゃないだろうか。
だが、私が好きなのは「心を燃やせ」の部分ではなく
「君が足を止めて蹲っても時間の流れは止まってくれない。共に寄り添って悲しんではくれない」
という部分である。
忙しさや辛さの中でどうしようもなく立ち止まりたくなり、精神科にかかった時、深夜にやっていた無限列車編でこの言葉が響いてきた。
例えば、私が立ち止まりたくなった時、周りの人はきっと休ませてくれるし、「命より重要なものはない」などと言うだろう。それは真理だ。辛いなら休めばいい。
だが同時に、そのように私が休んでいる間も、世界は周り、時間は流れ続けている。
私に休んでいいと言った人々も変わらず動き続け、私が休んでいる間に失ったものを補完してはくれない。
不登校になり、失った将来や選択を、精神科の先生は補償してくれない。
「休んでいいよ」という言葉は、優しいふりをして、とても残酷な言葉だ。
その時、煉獄さんの言葉は厳しくも優しく私に力をくれる。
「前を向け」と。「蹲っててても仕方ないぞ」と。
どことなく忍野さんの言葉にも通じる部分がある。
結局、世界を変えられるのは自分だけなのである。自分次第で、見ている世界は何色にもなり得るのである。

なんだがこれを書いていたら元気が出てきた。
自分の軸が戻ってきた気がする。
他にもこういう名言シリーズは色々あるので、ことあるごとに書いていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?