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◇不確かな約束◇第6章 下



それから1週間ほど経ったある日、私はいつものように宝来亭に夕食を食べにいった。いつも止まってる竜也のバイクはなかった。あれ、今日は休みなんだ。まぁたまにはひとりでゆっくり食べるか。そう思いお店に入った。

「あっ、い、いらっしゃい」

店長は声をかけてくれたけど元気がない。これだけ通いつめていると声色で感情が伝わってくる。

店長は持っていた鉄鍋を静かにコンロに置いて、私を奥の座席に呼んだ。

「どうしたんですか?」

私は珍しく真剣な顔の店長を前にして聞いた。店長は畳に膝をつき、両手は自分の太ももをきつくつかんでる。店長は一回大きく息を吸ってから私の顔をまっすぐに見て言った。

「竜也が。竜也が昨日亡くなった。バイクの事故だった」

バイクで、、亡くなった、竜也が、、

この3つの言葉が頭をめぐるけど理解ができない。そのあとはよく覚えていない。気づいたら北大の正門にあるベンチに何時間も座っていた。学生たちが歩いている。車も通り過ぎていく。鳩も落ち葉も風も、たしかにそこにあるのに私にはすべての音がなくなった。

一週間後に宝来亭の店長に聞いて、竜也の実家を教えてもらった。部屋でぼんやりするだけの日々から、やっと手だけは合わせに行きたいと思えるようになったから。

竜也の家は地下鉄で30分ほどのところにある大きな団地だときいた。5階の廊下を奥まで歩くと店長から聞いた505号室があった。呼び鈴を鳴らすとお母さんらしき人がドアを開けてくれた。事情を話し仏壇に手を合わせたい私の気持ちを伝えると快く家の中に招かれた。

家の中はお線香の香りでいっぱいだった。奥の部屋の片隅に竜也の遺影があった。いつもの革ジャンを着て得意げな笑顔。私は涙が出てきそうで慌てて目を閉じて手を合わせた。泣いてしまったらどうかなってしまいそうで。

「もしかしたらあなたが、ユキ、さん?」

「え?あ、はいそうです」

「あ、やっぱり。竜也がよく話してた人にぴったりだったから」

私のことをよく話してたんだ。

「実は竜也ね。あの日ユキちゃんにあげたいものがあるとか言って、仕事前にバイクで百貨店に行ったの。そしてその帰りに事故に」

竜也のお母さんは言葉に詰まり、顔を伏せてとなりの部屋に行った。私にあげたいものって。竜也、私になにを。

「これ。竜也のカバンの奥に大事に入っていたの。ユキさんに渡すつもりだったんだと思う」

手渡されたのは小さな三越の袋。開けてみるとキーホルダーが手のひらに転がり出てきた。

小さな柴犬のキーホルダー。

竜也、私はもう20歳だよ。
こんな子供っぽいもの喜ぶわけないのに。
なんで私の話なんか覚えてたんだよ。
竜也の家だから泣かないつもりだったけど。
泣くのは1人の時と決めていたけど。ごめんなさい。
胸につかえていた大きな器から涙があふれて、とりとめなくこぼれて止まらないの。

私は泣き崩れた。


3年半後。

「ユキ!そろそろ卒業近いよ。就活もいいけどさ、最後にあそこ行かない?」

白樺の木の下に少しだけ残っていた雪をかき集めて遊んでいた由梨加は言った。

「え?あそこってどこ?」

「藻岩山だよ!もいわやま!夜景が半端なくきれいな場所」

「あ、前に言ってた山ね。そんなにきれいなの?」

大学に入ってからそのほとんどの時間を学ぶことに使ってきた。キャンパスライフなんて言って、のんびりしている暇はいっときもなかった。自分であえてそうしていたのかもしれないけど。だから最後の思い出に夜景もいいかなと思った。

そこはタクシーで30分ほど走ると山のふもとまで着く。そこから何十回もカーブを曲がりながら頂上目指して登っていくのだ。カーブでの対向車は、すれ違うのがギリギリの狭い道がつづく。

やっとの思いで頂上に着くと、先着の何台もの車やバスが止まっている。あとは歩いて階段を上ると展望台にあがれるのだ。

「ちょっと寒い!マジ寒いーっ」

私たち2人は寒さと楽しさでキャーキャー言いながら階段を上って展望台にいった。そこに立った瞬間ぐるっと一周してしまった。だって360度全部が夜景なんだもん。どこもかしこも夜景でキラキラしてる。寒さのせいか空気が澄んでいて光ひとつひとつが際立って目に入る。

「すごーい!半端なくきれい!!」

私たちは写真を撮りあった後は展望台のよこに併設されているカフェで温まることにした。

2人でホットココアを飲みながら、大学の思い出やこれからのことを少し話した。いっときの沈黙のあとに由梨加が言った。

「先週受けたセミナーのあと、教授からの話で心に残ったことがあったの」

「そうなんだ。どんな話?」

「うん。世の中にあるあらゆるものって、物質として分解していくと最後は原子になるじゃない。その原子って絶対になくなることはないのね」

「うん、なんとなく知ってる」

「その教授が言っていたのは、人間もやっぱり原子でできているから、たとえ亡くなったとしてもその原子は存在し続けているんだって。つまり空中や自然の中に戻っていくの。そして周りまわってまた生きている人間の一部になったりする。そんな話だったの」

この話は私にとって救いとなった。人の死は決してそこで終わりじゃなく、また形を変えて生まれ変わる。それを科学的に証明されたように感じたから。

カフェを出るとさっきより寒くなってる。山の上のせいか空の星が手にとれそうなくらい近くに見える。

私は思わず深呼吸した。

竜也が生きてきた思いがこの世界のどこかにあるのなら、そのすべてを受け取りたいと思ったから。


2月の獣医師国家試験を経て3月に合格した。そして犬の心の病気についての研究も独自に進めており、漢方薬やアロマを使った方法が有効であることまでは突き止めていた。そして大学の授業以外で得られた人としての多くの学び。これらもひとつひとつ整理し心の本棚にしまっていった。

大学卒業後にすすむ道。
今の自分が志す方向を素直に見つめかえして、私はひとつの結論を出した。

第7章へつづく

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