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ライジング・サン

つい先日、3月16日に放送された音楽番組「ミュージック・フェア」で矢沢永吉さんが出演されていた。

東京赤坂「DAIAMOND MOON」で始まるYAZAWAのステージは途中、自身のインタビューを挟みながら場所を変えて5曲披露するという展開。

中々斬新な演出で、観ていて新鮮なものを感じた。

矢沢永吉の研ぎ澄まされたステージングに熱っぽく語るインタビューなど非常に見応えのある内容だった。

「あと何年って真面目に考えます…。」

そんなふうに自らの歌手活動があと何年できるかを真剣に考えていらっしゃる様子も映しだされる場面もあった。

YAZAWAといえども引き際のことが気になるのだなと感じ、同時にスターの人間味のようなものも映し出していたような気がする。

どうか末永くご活躍をされてほしい。

番組が放送されたのが3月16日。

翌3月17日はこちらもロック界の重鎮的人物であった内田裕也さんが亡くなられた日だ。

2019年3月17日。

なのでもう5年が経つそうだ。

早いですね。

内田さんの訃報を受けて様々なミュージシャンがコメントを発表する中、矢沢永吉さんも「もっと生きていてほしかった…。」っという旨のコメントを残したそう。

調べてみるとキャロルのデビュー時に内田さんにプロデュースを依頼したことがあるらしく、結局別の人物がプロデューサーを務めたことがあったそうだ。

その事実を知った内田さんが矢沢さんを殴ってやろうと思い、呼び出したものの先に矢沢さんが正座で「一発殴って下さい。」と詫びを入れたそうで、この態度を気に入り、内田さんは結局殴らなかったとかいう噂話もあるそう。

矢沢さんの態度に内田さんが感服したとか…。

キャロルがデビューした頃、内田裕也がプロデュースした「第1回ロックンロール・カーニバル」にキャロルが出演し、バンドが更なる飛躍に結び付くきっかけになるなど矢沢さんと内田さんにはそのような縁があったそうだ。

だからこその公式コメントを発表したんでしょうね。

話は変わるが、自分的に内田裕也さんといえば、樹木希林さんのことが頭に浮かぶ。

テレビを見ていると希林さんがよく旦那さんのことをあれこれと言っているシーンが懐かしく感じる。

2018年に亡くなられ、生前最後に聴きたい曲は内田裕也さんの「朝日のあたる家」と言われていたそうだ。

二人の夫婦関係のことは詳しく知らないが、それでも何とも良いエピソードだと感じてしまう。

「House of the Rising Sun」

「朝日のあたる家」

この曲は色々なアーティストがカヴァーをしており、日本では内田さん以外でも浅川マキさんや、ちあきなおみさんなど歌っているそうだ。

「朝日のあたる家」はアメリカの古い伝承歌であると言われている。

1930年代に最も古いレコードと言われているものがあるらしく、そして様々な形で歌われてきたそうだ。

1929年に起きた世界大恐慌から立ち直るべく、アメリカが行った「ニューディール政策」。

その一環でアメリカのトラディショナル・ソングを発掘しようという運動が行われたそうだ。

国威高揚のためといったニュアンスかな。

1930年代になってこの再発掘は盛んになり、件の曲も発見されたのであろう。

1937年にジョージア・ターナーという女性がアラン・ロマックスのために国会図書館用に録音を行い、アランが41年に刊行した本にこの曲が収録されていたこともあり、以降色々なアーティストがカヴァーしていくきっかけになった。

朝日のあたる家で出てくる、その家のことについて。

内田さんがカヴァーの参考にした「朝日のあたる家」は1964年にアニマルズが発表したバージョン。

メロディアスなエレキのアルペジオのフレーズと、鳴り響くハモンド・オルガンの調べが荒野に昇る一筋の太陽の光を思わせるかのような…。

ウエスタン映画とかのサントラでも似合いそうですよね。

1964年6月に発売された曲はビルボード・ヒット・チャートで三週連続1位を獲得した。

さて、家について…。

ニューオーリンズのセントルイス・ストリート826-830に1860~1870年代にかけて存在したとされている(これより古い時代に別の場所で存在したと言う話もある)。

色々と伝承がある中でその家は娼館であった説や、(その娼館を運営していたマダム・ルソレイユ・レヴァンという人物のフランス名を英語に直すと、昇る太陽になる。)もしくは、監獄であったと言われている。(ライジング・サンは女性刑務所収容所の入り口に、昇る太陽がかたどった飾りがされているため。)

そういった伝承が混合して、色々なバージョンが生まれてきたと考えられるそう。

女性の立場から歌われるとまず、この家が「たくさんの貧しい少女たちの(生きたあとの)廃墟だった」と歌われる。エリック・バードンはこれを男側から歌ったため、貧しき少年の思いへと変わり、ニューオーリンズへと戻るけれど、それは「ボール&チェイン」(囚人に付ける重しの付いた鎖)につながるためさ、となっている。

ブルース百歌一望 日暮泰文著 22ページより

エリック・バードンはアニマルズのフロント・マン。

女性視点での「朝日のあたる家(娼館)」と、男性視点での「朝日のあたる家(監獄)」とそれぞれで、主人公もその哀しいストーリーの一部として進んでいく。

曲は1940年代になると色々なアーティストがカヴァーし、レッド・べリーやウディ・ガスリーといった人達がカヴァーしていった。

歌が脈々として受け継がれていく中、1960年代に入ってボブ・ディランがデビュー・アルバムで「朝日のあたる家」をカヴァーした。

当時20歳だったとは思えないほどの、落ち着いた演奏と声色でドラマティックに展開し、「プア・ガールズ」と自分もその一人として歌い進んでいくストーリー。

「House of the Rising Sun」はニュー・オーリンズのとある館。

そんなストーリーが進んでいく。

ボブ・ディランの「朝日のあたる家」に感化され、アニマルズが発表した1964年の「朝日のあたる家」。

こちらは「メニ―・プア・ボーイ」となっており、自らに足枷をはめるためにニューオーリンズの「House of the Rising Sun」に戻るとなっている。

収監されるということだろうか。

どちらとも哀しいストーリーであるが、「あたしのようなことを妹にはするんじゃないよと伝えてくれ」や、母親に対して「アンタの子供に教えてやってくれ、俺のようなことをするな」っといった人生訓のようなフレーズも出てくる。

厳しい境遇でどれだけ逆境の中に立とうとも、人生を諦めてはいけないよ…。

っといったニュアンスだろう。

その人生訓をニューオーリンズの「朝日のあたる家」に例として示し、昔から伝承歌として伝えてきたのであろうか?

そこは自分では分からないが、一人の人物の哀しいストーリーと共にボブ・ディランもエリック・バードンも感情を込めて切実に伝える「House of the Rising Sun

どちらのバージョンも聴き応え抜群だ。

16日に放送されたミュージック・フェアの矢沢永吉特集。

そして17日の内田裕也さんがお亡くなりになった日。

ここ数日の音楽関連のことを通して「朝日のあたる家」という曲を振り返ってみた。

寂しくはあるが、そのメロディやボブ・ディランのフォークの魅力、そしてアニマルズのメロディアスな演奏など聴きどころ満載の名曲だ。

記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます!









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