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『人間の建設』No.36 人間の生きかた №4〈数学者と小説〉

岡 ……ことに数学が壁に突き当たって、どうにも行き詰まると好きな小説を読むのです。
小林 行き詰まるというようなことは……。
岡 数学は必ず発見の前に一度行き詰まるのです。行き詰まるから発見するのです。
小林 数学の発達は、だいたい物理学の発達と平行していますか。
岡 そうですね。物理の手段として発達してきたでしょうね。

小林秀雄・岡潔著『人間の建設』

 おもしろいお話です。まず、「数学が壁に当たって、どうにも行き詰まる」と岡さんが言います。岡さんでも行き詰まることがあったんだということですね。

 つぎに、そんなときに「好きな小説を読むのです」と岡さんが言います。へー、ドストエフスキーの『白痴』なんかを読むんだ、と今までの話の流れでそう思います。

 小林さんも、岡さんが数学で行き詰まると言う話を聞いて意外な感じがしたようですね。

 岡さんの次の言葉もおもしろい「行き詰まるから発見するのです」。そうか、とことん考えてそれ以上進まなくなったら、一旦そのことから離れて別のことをする。と、奇跡が起こる!

 これは、無意識の領域では「そのこと」が継続している、ということかもしれません。日中の出来事や思考のカオス的な蓄積を、眠っているうちに脳が整理する過程が「夢」というものだという話を聞いたことがあります。

 次に小林さんが、数学と物理学の発達の相関について質問します。岡さんは一応「そうですね」と返事します。でも、これは生返事のような格好で、数学上の発見について言い足りなかったことを補います。

岡 19世紀になってポアンカレあたりが、数学上の発見とはこういうものだと書いている、その発見はみな行き詰まったとき開ける、いかにも奇妙な開け方です。西洋人は自我が努力しなければ知力は働かないと思っているが、数学上の発見はそうではない。行き詰まって、意識的努力なんかできなくなってから開けるのです。それが不思議だとポアンカレは言っています。

 西洋人の発想では「自我の努力」によらなければ「知力」は働かないのに、数学上の発見はそうでないと不思議がっているポアンカレのことば。岡さんからすれば、不思議でも何でもないというわけです。


‐―つづく――




※mitsuki sora さんの画像をお借りしました。


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