1993年のオーストリア・モーツァルト №8〈チューリッヒ空港 №3〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
チューリッヒ空港♪ №3
1993(平成5)年7月12日(月)(スイス・チューリッヒ空港到着~買い物)
6時20分頃そのズーリックに到着。
機はベルリンへ行くのでここでおりなければいけない。アナウンスがよく聴き取れないので不安に駆られた(※1)。降りるタイミングを間違いはしないだろうか、降りそびれてベルリンまで行ってしまったら大変だな……でも降りる人が多かったのでそれは杞憂にすんだ。
空港のトランスファー(乗換え)カウンターで搭乗券を受け取った。ゲートナンバーは―A45―。8時40分発ザルツブルク行き。曇りか雨か、ガラス越しでよくはわからないがあいにくの天気だ。(※2)
ベンチに座っていると一つ置いた隣の席に日本人らしい若い女性が座ってきて本を読みだしたので、聞いたらやはり日本人で東京からシンガポール、チューリッヒ経由でスイスのホテル学校に留学するところとのこと。空港内でコーヒーを飲みながら話をした。Mさん、T大をこの春卒業して3年間の留学をするらしい。
友達とアメリカやヨーロッパを旅行したことがあるというのでウィーンの情報などを聞いた。空港内のみやげ物屋を見物してから別れた。(※3)
――つづく――
※1 この旅行を通じて、一番緊張した場面かもしれません。ベルリンまで行ってしまったら、どうなっていたでしょう。笑
※2 オーストリアには、ウィーンから入るのが一般的なコースかもしれません。チャンギからウィーンへ直行すれば、もっと便利だったでしょう。でも、ザルツブルクから入りたかった。モーツァルトの生地ですから。その人生に沿ってウィーンへのルートで時系列で辿りたかったのです。あと、いきなりウィーンのような大都会に飛び込むことに躊躇もありました。
※3 ここはもうヨーロッパのど真ん中。かず少ない日本人に出会うのは心強いことです。彼女からウィーンが大変治安のよい都市であると教えてもらいました。スイスで観光学を習得する、という彼女の決断と実行力はすばらしいと思いました。私の、幼いおいやめいに渡すスイスみやげを親切に一緒に選んでくれました。
※標題画像は、モーツァルト生家の看板です。
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