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外国に3ヶ月住んでもヒュー・グラントにはならない。

2022年元日の朝

新年の乾杯前に、夫が2枚の写真を子供達に見せた。

「これは父さんがイギリスへ向かった日」
スーツケースを手に、アパートの階段を降りる、20年前の夫の写真。

「で、これが、その3ヶ月後に、あびかと娘がこっちに合流して住んだ部屋」
がらんと何もない部屋の写真。


「父さんは、このスーツケース1つでイギリスへ来た。そして20年かけて、少しづつ家具をそろえ、車も買い、家も持った。

でも俺はまだ全然100点ではないんだよ。挑戦すべきこと、やってみたいことが、まだまだたくさんある。

だから君らも、『まぁ、これでいいか』は、なし。挑戦をとめないで、今年もがんばれ」

そう言って乾杯した。

*   *   *  

イギリスにある、半導体のベンチャー企業に夫の転職が決まったのは、20年前のちょうど今頃だった。

その時、娘は生後6ヶ月。
『住居などの環境を整えるために、まずは夫が単身イギリスへ渡る。そして3ヶ月後に一度日本に帰り、また改めて3人揃って渡英する』という予定にした。


夫の渡英当日

空港でポンドに両替できるようにと、
まとまった現金を用意したが、
夫はそこから3万円だけもってイギリスへ
ひらひらと発っていった。


夫の不在3ヶ月

当時はスマホなんてない。
だから当然ラインも、スカイプもない。
そこから3ヶ月間は、ほとんど夫とは音信不通になった。

心配ではあったが、

その間、私はアパートを引き払ったり、家具の処分、ビザの手続きに、役所や銀行、
娘の予防接種や検診と、ドタバタと過ごし、

あっという間に3ヶ月が経っていた。

すると、どこからかけているのか、

「来…週、15時、…空…港着」

音質が悪すぎる、国際電話がかかった。


夫が帰ってくる

実は、私のこれまでの海外経験といえば、

20歳 親友が懸賞に当選してハワイ
26歳 タイへ新婚旅行
と、この2回しかない。

この乏しさからか、外国に3ヶ月も住んだら英語は勝手に上手になると思い込んでいた。

だから、3ヶ月イギリスに住んだ夫は、

もうペラペラと英語を話すに違いない。
そしてBurberry Londonとか着こなしている。
食べ物が変わるわけだから、顔も変わっているかもしれない。
歐米では仕事前にジム通うらしい。では腹筋も割れるだろう。背も伸びてるかも。

と、思っていた。
本人とわからなかったらどうしよう。

こんな風に、毎日考えているうちに、

夫を空港に迎えにいく当日には、

到着ゲートから、

シャツの前がはだけた、パイロットの制服を着たヒュー・グラントが、スーツケースをひいて私のところへきて、「ただいま」と微笑むもんだと思っていた。


空港に夫を迎えにいく

到着ターミナルでドキドキしながら待ち、

私の脳内の、青山テルマ『そばにいるね』がサビに入った時、

夫らしき影がみえた。


ヒュー・グラントではない。



山下清だった。

タンクトップ、半ズボン、ビーチサンダルで、なぜか坊主頭。
そして少しポッチャリしていて、裸の大将 山下清こと、芦屋雁之助になっていた。

なぜ。


しかも、荷物はスーパーの袋だけ。
それにパスポートと財布を入れてきたらしい。

まさかアンタ、これで国際線に…

「あ、どうせ、とんぼ返りだし」

正気か。
裸の大将だって、リュックは担いでいた。



その後、車の助手席で、
同僚に髪を切ってもらったが、なぜか最終的にボウズになったこと、格好つけて3万円だけ持っていったが、給料日が月末で食パンとジャムだけで過ごし太ったことを、身振り手振りで、やいやい語っていたが、私の耳には何も入らなかった。


夫は、ヒュー・グラントになっていない。

その事実を受け入れられない。


2、3日はショックが抜けない私だったが、

段々と

そりゃ、そうだろ。

なんでヒューになるのさ。

と正気に戻ってくる。

夫は、たった一人で3ヶ月も見知らぬ地で、がんばったじゃないか。そう思ったら急に申し訳ない気持ちになり、愛おしく思えてきた。


そして、思った。
まだ、『英語ペラペラ』があるじゃない。

イギリス到着
そんなこんなで、私達家族3人は、やっとイギリスに揃って降り立った。

ああ、疲れた。

長い長い入国審査の列と、なぜだか私だけ別室に連れていかれて尋問を受けた事に疲れて、ちょっと休もうと、目の前のバーガー屋に入った。

そして、空腹だという夫に

「自分の分だけ頼んで、先に食べていて」
と言い、トイレにいった私。



思いの外、トイレが混んでいて、
店に戻ると夫がもう座って食べ始めていたのが遠目で見えた。

私も買ってみよう、バーガーを。
緊張しながらの初の英語での注文。

全然伝わらない。

それでも、
何とか身振り手振りでバーガーを決め、

「セットの飲み物は?」
「あ、じゃ、コーラ please.」
「は?」
「こ、Coke please」
「サイズは?」
「え、Mで」
「OK」

注文を終えた。

達成感でいっぱいになる。

誇らしい気持ちでバーガーセットを待つと、渡されたのはバーガーとポテトと、コーラのMサイズが3つだった。

「コーク、プリーズ」の発音が悪すぎて、
「コーク、スリー(3)」に聞こえたか。

Mといえども、
まあまあの大きさのコーラを3つ。

こんなに飲めない…


でも、きちゃったものはしょうがない。
初日からどんよりしたらダメ。

いやー、まいった、まいった。
コーラが3つ来ちゃったわ。
やっぱり、英語は難しいねぇ。


と、明るく言ってみた。


言いながら、夫の向かいに座ると、
夫はコーラのLサイズを3つ飲んでいた。

『英語ペラペラ』の線も消えた、
そんなイギリス生活1日目。

*   *   *

2022年は、また初心に帰ってひとつひとつ襟を正していこう。

みなさんにとって、素晴らしい一年の始まりとなりますようお祈り申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

糸田あびか

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