某日、千駄ヶ谷から原宿方面。
千駄ヶ谷小学校と向かい合う、「ギャラリー38」。
クリスチャン・プーレイ " Geographies of Love " (- 6/30)
抽象のなかに消え入りそうな緊張感
白い空間に、美しい色彩の風景?画。一部が抽象化された作風のようだ。
描かれている作品の解像度がだんだん粗くなり、細い筆が太い刷毛に変わって画面を覆い尽くしていくのではないかというような……という、静けさのなかに「動き」のある作品。人物の近くにまで迫ったその抽象化が、もしかして人までもかき消してしまうのではないか、という不安定さ。
展示空間に、不思議な空気が流れていた。
根を持つことと「根こぎ」
作品を鑑賞し、説明が情報として入ってくるごとに「ああ」と気づくことがあった。
引用されているシモーヌ=ヴェイユ(Simone Weil)の「根を持つこと」(L'Enracinement)。哲学者であり社会思想家である彼女のその著作には、「根」の概念が説明されている。ここでいう「根」とは、人間が自身の生活と環境、文化、歴史、共同体とのつながりを持つことを意味している。これは、人間が安定し、精神的に充実し、社会的にまとまった存在として生きるために不可欠な要素だ。
それを削がれた「根こぎ」(déracinement)とは、人間が自らの根を失った状態だ。「根こぎ」の状態にある人々は、アイデンティティを失い、孤独感や疎外感を感じやすくなる。「根こぎ」は強制移住、戦争、経済破綻、文化的な同化などによって引き起こされることがある。ユダヤ人としてナチズムの時代に生きたヴェイユの言葉は重い。
「根こぎ」の状態は個人はもとより、社会全体にも深刻な影響を及ぼす。そしてそれは、こうして現代にも続いている。人は無意識に「根」を求めている。
だから根ざす場所として作家は絵を描き、そうだとするなら、と考えれば、わたしがはじめに感じた、画面のなかに起きる抽象化が絵の全体を覆ってしまうのではという不安は消える。
そこが根ざしていい場所であるなら、描かれた人やものが、かき消されてしまうことはない。不安定な場所ながら、そこには「根」をおろしていけるのかもしれない。