意味を纏った後に見えるもの -山本雄教(グループ展「ART NOW→FUTURE」)
某日、銀座シックス。
蔦屋書店 銀座の展覧会で、面白い経験をした。
アーティスト・山本雄教の作品。
遠目からは、ピクセルのようだが
ドットで描かれているような、これらの絵は
近づいてみると、敷き詰めた1円玉の上を、なぞって描いたものだ。
子どものころ、そんな遊びをしたかもしれない、と、まずは、なつかしさを覚える。
既視感のある有名作品のシルエット
こんなふうに、
ああ、どこかで見た、と思うような作品に
まずは素直に、面白いという視点で楽しむ。
見方にひとつの方向性が生まれると
しかし、この作品を見ると「あっ」となる。
追い打ちをかけるように、これらの作品を観れば、「ああ」と。
そして、今回のシリーズ「One coin」シリーズの解説を。
作品の下には、1円玉が敷き詰められたままになっているとは。
この展示の並びといい、なかなかのインパクトだ。
作品の印象ががらりと変わる面白さ
そして興味深かったのは、
はじめは作風の面白さに、なるほどと思っていただけだったところが、
米国のIT長者たちと、ビットコインのアイコンを観てしまい、作家からの投げかけのようなものを「やっぱり?」と受け取ってしまった以降は、
作品たち全般に、何か、含み感じられてきたりすることだ。
さきほどの名画たちも、高額で取引されている美術品のアイコンと見えなくもないし、
この作品も、
就活生? というつながりから、頑張っている若者というよりは、どこか、資本主義に取り込まれていく姿? といった方向に。
この、人のシルエットに至っては、
我々はしょせん、1円硬貨で造られている?
さらには、頭部から首にかけてが、クエスチョンマークを内包しているようにまで、見えてきてしまう。
なんという、アートの面白さ。
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