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【写真】軍艦島クルーズ Day2 周遊
3月某日、長崎港。2日連続の軍艦島クルーズ2日目。前日は初上陸。
この日は、長崎港 産業革命遺産クルーズで利用した大手の船会社を利用。メールでの問い合わせにも迅速に回答があり、ほかにも細やかな対応が印象的だった。
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トイレや自販機も完備の比較的大きめの船。満席で、修学旅行生の姿もあった。
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女神橋をくぐり、軍艦島へ
3日連続の長崎港クルーズ。すっかり見慣れた、ジャイアント・カンチレバークレーン。
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三菱長崎造船所 関連施設の第三船渠(せんきょ)。1905年に竣工した当時東洋最大の船のドックで、もちろん今も稼働中。
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女神橋をくぐり、この日はそのまま軍艦島へ向かうコース。
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お天気はよいのだけど、船が進むごとに、波の高さが気になりだした。
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長崎市条例により、軍艦島上陸へはいくつかの条件をクリアしなければならない。たとえば、決まった計測時間に測った波の高さが50㎝を超えると上陸はできない。
風と共に、波の高さは「さすがにこれは、無理なのでは」というくらいになり、船がぐらぐら揺れ出していた。
上陸→周遊ツアーへ
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何度か事前アナウンスがあった後、波の高さが基準を超えてしまったため、やはり上陸ツアーに決定した、という放送が。修学旅行生たちは気の毒だ。
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ただわたしは、その前の日に上陸し、だいたいのパターンの写真を撮ってしまっていた。船は右回りと左回りで2回、周囲を周ってくれるという。海からの島をもっと撮りたいと思っていたので、それもいいな、というのが正直な感想だ。
ちなみにこの船会社の場合、上陸料だけでなく船賃の一部も現金で返金され。名前が書かれ、小銭が入った封筒と、今後使える割引券をターミナルの窓口で受け取ったときは感動した。
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曇り空で雰囲気が一変
興味深かったのは、曇り空になると、軍艦島の「廃墟感」が増幅することだ。2018年に初めて周遊するまで、朽ち果てていく廃墟の島、といった、ちょっとおどろおどろしい雰囲気を想像していた。廃墟という言葉そのものが持つイメージもある。
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希望があった時代の、希望の島
しかし、100歳を越えた今も活躍するほかの世界遺産登録スポット、長崎港の明るい雰囲気とも相まってか、やはりこの島からわたしは、もの悲しさやネガティブな雰囲気は感じなかった。
廃坑が決まったあとすぐに次の職を紹介された従業員とその家族たちは次々と島を去った。経済が右肩上がりの、その先に希望が持てた時代。そもそも、「離島から石炭が出たから、その上に街を造って従業員を住まわせてしまう」という発想がダイナミックだ。
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基本的には、風化していくのを止められないという軍艦島の人工物。いずれは自然に還る島をこうして訪れ、当時に想いを馳せる、それは、時空を超えた旅であったようにも思える。
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