ウイルス共存プロジェクト・2話目往復書簡
「求め続けた"平常運転"」
我ながら、今思い出しても笑ってしまう。
プライベートでは保育園が休園になり、毎日が土日になった。
乳幼児を抱えるママさん、いや、お子さんを抱える全てのご家庭がそうだと思うが、
正直言って、こどもがいない平日昼間が1番心休まるのではないだろうか。
土日は仕事が休みなだけで、代わりに予測不能・制御不能のこども達とずっと向き合わなければならない。
宇井にとっては平日を乗り切るよりも、土日を穏便に過ごす方が高度である。
‥だがこれが週7日中の2日だから耐えれるのである。
あの2ヶ月はこれが毎日。しかも終わりが見えなかった‥。
本当に、なんともしんどい7週間だった。
でもそんな間も、仕事は平常運転だった。
というか、平常運転に「しようとしていた」のだ。
漫画中に登場する、〆切に「5分」間に合わなかった時も、その場ではヤキモキしたものの、私は担当者を恨む気にはなれなかった。
なぜなら、誰よりも平常運転を願い、平常運転のように振る舞っていたのは、
他でもない私だからだ。
「飛び降りながら飛行機を組み立てるのがベンチャー」
私の経営する会社「aba」は、いわゆるベンチャー企業だ。
世の中にないものを産み出し、社会を劇的に変えていくことを目指し、急激に成長していく。
安定しない中で急成長していくのは、
海を泳ぐまぐろと一緒で、止まったら死んでしまう。
(ベンチャー企業の説明として、「飛び降りながら飛行機を組み立てるようなもの」とおっしゃっている方がいた。言い当てて妙とはこのことである。)
だからこのコロナ渦の中でも、止まることは絶対にできなかった。
そしてそれは、こどもの成長も同じである。
「多くの支援に底上げされた宇井の子育てスキル」
こどもは日進月歩で変わっていく。
乳幼児期ならましてや、だ。
昨日立ったと思ったらもう伝え歩き。
今日言えなかった単語が、次の日にはちゃんと発音できている。
ベンチャー企業もびっくりな爆速のこども達の成長過程において、
ステイホーム中、保育園ともアズママとも疎遠になり、自分の子育てスキルの非力さを痛感した。
‥いや、というか、宇井には子育てスキルなんて、ほとんど備わってなかった、と再認識した。
ただただ保育園とアズママに底上げされ、彼らのサポートのもと子育てを遂行していただけであったのだ。
それらを失った瞬間の、全ての責任が自分に降りかかってきたときの重圧と言ったら、、、。
改めて、保育園やアズママなど、子育て支援の仕組みづくりに従事する全ての人たちに敬意を示したい。(漫画同様拝むの図)
「スローダウンできない日本人」
世界中でロックダウンが起き、世紀末のような状態なのに、なぜこんなにも平常運転を目指してしまったのか。
宇井の場合は、ベンチャー企業経営と子育てという、稀有な環境に身を置いていたから尚更であったが、
今回日本中が、「平常運転こそが善行」と思い、挑んでしまったとは思う。
これは単なる偶然ではなく、日本人特有の「自己犠牲」も関係しているように思えてならない。
しかも普段「本当にゆとり世代は、、、」と言われる、私たち30代もみんな総出で、力の限り無理をしてしまったと思う。
とかく「ゆとり世代」と揶揄される私達88世代だが、図らずも、全くゆとりのない生活を自ら強いてしまった。
やっぱり私達は日本人で、昭和最後の年代なんだなと、改めて自己認識が深まった一件であった。
※1988年生まれは、昭和63年生まれであり、昭和63年、昭和64年、平成元年と、3世代存在する稀有な年代でもある。
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