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優しい雨が君の悲しみを洗い流してくれるように


朝から冷たい雨が降っている。色づいた葉たちは枝にしがみついて、最後の抵抗を試みている。
秋明菊の花びらがはらりと落ちた。

傘もささないで少年は家を飛び出した。
夜中のことだ。
さっきあったことが、まだ信じられない思いだった。

ふと目を覚ましたとき、母親の顔がすぐ目の前にあった。声を出す間もなく、首に巻かれたロープ。必死で払い除けて家を出た。
冷たい雨は容赦なく少年に降り注いた。

ずぶ濡れの少年が警察に保護されたのは、それから3時間も経っていた。
暗闇の木陰で雨と人目を避けながら、しゃがみこんでいたという。

この知らせは、児童相談所からもたらされた。

はるの先生の胸は痛んだ。

少年はどちらかというとだらしない子どもだった。ゲームが好きで、夜遅くなってもやめられなかった。
そのため、朝起きられずに遅刻することも度々あった。
しかし、学校での彼は明るく、友達と楽しそうに過ごしている。笑顔が可愛らしく人懐っこい。頭は悪くはなかったが、勉強には熱心とは言えないため、成績は下降傾向だった。

母親は真面目目で教育熱心だ。
そのため、自分の子どもがゲームに没頭し、宿題もやらず、生活が乱れていくことに苦悩していた。親としてどんな言葉をかければいいのかわからなかった。
その悩みは彼が中学3年になると、ますます深刻になった。

学校に相談があったのは進路決定が差し迫ったときだった。
はるの先生がその相談を受けた。真面目できっちりした性格の母親は、はきはきと物を言った。

「こうあるべき」はときに本人も周りも苦しめる。

「受験生とはこうあるべき」
は子どもを苦しめ
「母親はこうあるべき」
は母親自身を苦しめた。
「あなたのため」
これが彼女の口癖だった。

子どもの将来のため。
 
その想いはどこでボタンをかけちがえたのだろう。

その結果起きた悲劇。


児童相談所ねの虐待の相談は年々増えているという。児童相談所の担当者は何度も学校に足を運んでくる。

令和3年度の児童相談所での児童虐待相談件数は全国で207659件で過去最高だったそうだ。その数は年々増加している。20年前と比較すると11.5倍だという。

(厚生労働省)

はるの先生は空を見上げる。雨は小やみになっていた。針のように細かい雨は優しく銀杏の木に降り注いでいる。

少年の母親は子ども思いの人だった。しかし「こうあるべき」が強すぎた。自分の理想と現実のギャップに苦しみ、焦ってしまった。
そして
方法を間違えたのだ。自分の価値観を子どもの幸福に繋がると信じて疑わなかったことの結果だった。

少年は児童相談所に保護された。すれ違った親子の思いを埋めるように細かな雨は降り続いている。
家に戻る頃に雨は上がるだろうか。


悲しみは針の如くに小夜時雨
  彷徨う果てのぬくもりは刹那

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