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夫の言葉は、わたしが自分にかけている言葉だったりする

先日、在宅で仕事してた夫に
ほうれん草とベーコンの和風パスタを
作って出した時のこと。

ありがとう、と言って
席に着こうとする夫。

パスタを見ながら

「なんか、きのこがたくさん入ったパスタとか、
食べたくない?」


そう言いながら食べ始めたことがありました。
ほうれん草パスタ、きのこは入ってない。


夫は、
基本わたしの料理を
「なんでもおいしい」と言って食べてくれる人。


普段そんな感じだし、
何の他意もないのはよくわかる。

そして確かにわたしもそれ食べたい。
きのこたっぷりパスタ、
美味しそうじゃんね。


なので
「いいねーじゃあ今度ねー」

と言って
何日か経った昨日。


きのこパスタの件を思い出して
しめじや舞茸をたっぷりいれた
和風パスタを作ったら

夫、パスタの上のきざみ海苔を見て

「なんか、美味しい海苔を手に入れたいよねー」
と言いながら食べ始めたんです。



お?


最近、似たようなことあったな。


作ったものを味わう前に
「あれがいいな」と別のものを指して言われたこと。

そういえば、パスタ以外でもあった。
普段、夫はあんまりそんなこと言わないのに。


そういわれた自分の心をチェックすると
別にたいしてイヤな気分でもない。

全然他意がないのはわかるし
「作ったものを否定された!」とか
さすがに思わないから
「そうなんだ」と流していいレベルのこと。


でも、なにかが引っ掛かった。



笑ってちょっと夫にツッコミを入れたら
「えーそうだった?ごめんね!」
という感じで
あっさり出来事としては終了に、


なったんだけど。


なんでわたし、
こんなささいな、
どうでもいいことが引っ掛かったのかな?

と気になって
後で心の内を探ってみたんです。

こういうとき、
もっと自分が自由になる種が埋まってるから。

(写真はイメージです)


わたし、なにが引っ掛かったんだろ?

「今提供した、
望み通りのものを味わう前に
次の希望を言われた」
ってところが
なんか「種」っぽいんだよなあ・・・

あれ。

これ、わたしが自分にやってることじゃん!



わたし自身が、
最近、
目の前の豊かさをあんまり味わっていなくて
未来に意識を飛ばしすぎていたんだ。


先月、実母に大きな病気が見つかって
まだ起きていない未来のあれこれを
思ってどんよりしたり。

お仕事面でも
この先考えて
もう少し変えたほうがいい点があるかなあ
と考えたり。


全体的に
「今は、なにか足りてない」
「だから次どう行動するか」

しょっちゅう考えていたかも!!

もっと
先の行動どうするかじゃなくて
今現実にある豊かさを味わうことに
フォーカスした方がいいのかも!


今の豊かさ、
たとえば

母の病気が見つかってからのほうが
母との交流を大事にできてたり

今すでに提供してるセッションの魅力を
再発見できたり
学びが深まってきてること。
変わらずクライアントさんに足を運んでもらえていること。


得ているものは十分多いのに、
そしてそれは心から望んだものだったのに
ちゃんと受け止め味わってなかったってことか。


もう一歩、積極的に
今の自分を認めたり褒めたり、

今もうすでに目の前にある豊かさや
内側で感じていることを
きっちり受け止め味わう心を育てるほうが

いい時期だよってことなのかもしれない。


そんなことに気づいたら
心がワクワクと広がるような、
ほっとした、うれしい気分になったんです。

内側からの「それでOK」のサイン!
このための、きのこパスタか。



前回の投稿
「自分が自分をどう扱うかと
世界が自分をどう扱うかは同じ」
ってことを書きましたけど

これって

「いま、自分の内面でこんなこと起きてるよー」

というチェック機能としても使える視点でも
あるんですよね。
(当然、すべてがこの視点で解明できるわけではないけど)


今ここの、味わい増強。

数日間はこの辺意識してやってみたいです。

美味しい海苔も、買おうと思う。



【心の筋トレ その4】

身近な人の言葉を、
自分が自分にかけてる言葉じゃないか?という
視点をもってみてみる。


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