『きのこのなぐさめ』ロン・リット・ウーン著 みすず書房 を読んで。
タイトルに惹かれた。この本と出遭ったのは、あれは、初めて行ったK市の本屋だったと思う。みすず書房コーナーに置いてあり、興味がそそられた。
本の値段が高いので買うことは保留にしたものの、いつか読んでみたいと思って手帳にメモしていた。それが、二年後の、父が亡くなって一か月後に読むことになるなんて。そのときは思いもよらなかった。
正直に言うと、自分自身の喪失のショックを和らげたくて、手にしたと言ってもいい。この本は、夫を突然の無くした文化人類学者が、きのこ講座へ通うことを契機に、きのこに魅せられながら少しずつ立ち直っていくというノンフィクションだ。
たぶん、傷ついた心を、きのこを通して、自然の神秘の中で癒されていく心情が描かれいるのだろうと読む前は勝手に想像していた。わたしは、著者とともに手を取って慰め合いたかったのだ。
「死のショックで、私は深い井戸の底にいるみたいだった。無の感情が、蹴散らすことのできない大きくて重たいブランケットみたいに、私に覆いかぶさっていた」
「私の人生は枯れ果ててしまった。形容できず、追い払うこともできない混沌とした内なる不安が、私をひたすらむしばんでいく。
私は見えない鎧を着ているみたいだ。世界は、私そっちのけで進んでいく」(62頁)
「私が悲しみのプロセスの中で、どの辺りにいるのかを分かってくれた人は、片手で数えられないぐらいしかいなかった。だから同じような悲しみの中にいる人のグループに加わるのは、よいことだった。
周りからの共感や理解の欠如は、このグループで毎回出る話題だった」(100頁)
今のわたしなら、きっと以前のわたしよりも著者に共感できていると思う。また、離婚経験者の友人の会話で、未亡人になるより離婚する方が辛い、と言われ、「喪失の体験は比べたり、測ったりできるものだろうか?」と語るところも、痛いほどよくわかった。
わたし自身も、悪気はないのだろうけれど、「自分の父はあなたの父よりももっと若くして亡くなったのだから、あなたはまだいい」「災害で死ぬよりも、病死の方がましだ」などと、言われて、かなり傷ついたりしていた。悲しみは比較なんてできない。そして、言葉はするどい針のようにひとの心を刺す。
しかし、この著者は、詩人や小説家ではなく、やはり根っからの学者気質であるようなので、内容は、わたしが期待したきのこを通しての心理描写が主に書かれているのでなく、本格的なきのこの説明や魅力がページを占め、きのこにあまり詳しくないわたしは、なかなか想像が追いつかないところもあった。レイチェルカーソンの『センスオブワンダー』のような世界観を勝手に期待してしまっていたが、ちょっと違った。
もっとも、本の末尾には、きのこロースト、パテ、ソースなどの簡単なレシピもついていて、ついついわたしも立派なシイタケやエリンギを買ってきては、バターと醤油で炒めたり、きのこ料理をいつもより張り切って作ったりしていたから、きのこの魅力に影響されていたには違いない。
きっと、わたし自身も、この著者の「きのこ」に当たるものを探していくことが、レジリエンスへの一歩となるのだと思う。
はたしてわたしが夢中になれる「世界」はどこにあるのだろう。足元を見たり、窓の外を見上げたりして、今はただ捜している。