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歴史に残らないということ

エーリッヒ・ブーフホルツ展覚え書き(2023年1月6日)

 年が明けても暗く曇った日々が続く。小雨の降る中、ベルリン・ダーレム地区のクンストハウス・ダーレムで開催されている『エーリッヒ・ブーフホルツ展』に足を運ぶ。

① 建物の道路側には旧アトリエの来賓用入り口。現在のクンストハウスの入り口は道路を奥まで進んだところにある。

 現在クンストハウスという美術館として使用されているこの建物は、ベルリンにいくつか残されているナチス様式の建築のうちのひとつである。ナチス様式とはつまり、歴史主義建築のひとつとして20世紀初頭のドイツにおきた新古典主義様式のことを指し、新古典主義とはつまり、古代ギリシャ・ローマの様式を手本としていることを意味する。このことは「真のドイツ芸術」の規範を古典古代に求めたヒトラーの理想ともリンクする。

② ハンス・フレーゼ設計によるアトリエのモデル(1940年)古代の神殿のような趣きもある

 この建物はもともと、ナチスの御用彫刻家アルノ・ブレーカーのアトリエ用に、当時の国家プロジェクトとして建てられた。しかし1942年、ベルリンに連日爆音が鳴り響く中で完成したこのアトリエを、ブレーカーが実際に使うことはほぼなかった。

 ナチスの建築は、個人を萎縮させることが目的の全体主義様式、あるいは反動的、権威主義的、亜流である等、戦後ドイツではとにかくネガティブに語られ、とりわけナチス政権下で迫害されたバウハウスの先進性とは常に比較される。

③ 中庭をはさんで向かいのブリュッケ美術館

 中庭からは隣のブリュッケ美術館が見える。個人宅のようなこじんまりとしたモダニズム的な佇まいが、ナチス様式のモニュメンタルな建物と好対照をなしている。この対比こそが、1967年に完成したブリュッケ美術館の設計者の意図であっただろうことは、容易に見てとれる。

④ 旧ブレーカー・アトリエの中庭側

 負の歴史を中和しようとする努力は、その周辺から行われるだけではない。歴史の重荷を背負う空間でアートを見せようとすれば、それはおのずと空間に対して批判的なものとならざるをえない。今回の展示にいたっては、そのナチスの御用芸術家の旧アトリエの中に、ナチスが政権を掌握する直前までベルリンで活躍していたアヴァンギャルド作家のアトリエが再現されることになる。

⑤ 同寸大で再現された1922年当時のベルリンのアトリエ

 作家の名はエーリッヒ・ブーフホルツ(Erich Buchholz 1891年 - 1972年)。第一次大戦後1920年代初頭のベルリンにおいて、構造主義的・抽象的な作風の芸術家として活躍した。戦後疲弊した社会の革新を目指した芸術家集団「ノベンバー・グルッペ(11月グループ)」のメンバーでもあった彼の仕事は、画家・彫刻家・建築家・グラフィックデザイナー・プロダクトデザイナーと多岐にわたった。

 キャリア初期の表現主義的な絵画から脱皮する転換点となったのが、1920年に制作したライトアート/キネティックアートの手法を用いた舞台美術だった。そこから彼の作品は平面から離脱し、構造体として空間に介入するようになる。

 その方向性を推し進め、生活と芸術とを統合する「総合芸術作品」を目指すべく、1922年にはベルリンのアパートを写真(上)のように改装する。この住居、アトリエ、そしてサロンを兼ねた部屋は、前衛芸術家たちの国際的な交流の場となり、メンバーにはハンナ・ヘッヒ、エル・リシツキー、ラースロー・モホリ=ナジ、クルト・シュヴィッタースなども含まれていた。

平面から立体への移行/⑥『最も若い顔』1920/21年(左)/⑦『開いた本』1922年(右)

 1920年代前半にはベルリンのアバンギャルドシーンの立役者として成功を収めていたが、経済的困窮から田舎に居を移し、また1933年にヒトラーが政権を掌握してからは作品発表の場が完全に失われ、親交のあった芸術家たちとの繋がりも途切れてしまう。

 1945年の終戦以降、それまで途絶えていた構造主義的-抽象的な作品の制作を再開する。しかし戦後ドイツの美術界においては、ナチスが「退廃芸術」の烙印を押して迫害した代表格であるドイツ表現主義の系譜(その後1980年代の新表現主義へと続く流れ)がメインストリームとなり、そんな時代の中で構造主義的な作風をひたすら追求し続けたブーフホルツはおのずとアウトサイダーと化してしまう。

建築モデル/⑧『MUSKO 電光掲示のあるキオスク』1923年(左)/⑨『卵ハウス』1957年(右)

 展覧会タイトル「美術史は捏造にほかならない/Kunstgeschichte ist eine einzige Fälschung」は、ブーフホルツが1972年に自費出版で発表したテキストの題名だ。彼は、個人が体験する主観的現実と、その後にナラティブな形式で記述される歴史とがいかに乖離しているかを、その物語に入れなかった者として身をもって知っていたのだろう。

⑩ エーリッヒ・ブーフホルツ 1971年撮影/背後の壁には戦前の自身のアトリエのミニチュアがレリーフになって掛けられている

 ブーフホルツの特別展を見終わって次の部屋へと進むと、ベルンハルト・ハイリガー(Bernhard Heiliger)の作品が常設展示されている。そう、戦後この建物は、アルノ・ブレーカーの弟子であった彫刻家ベルンハルト・ハイリガーのアトリエとして使われていたのだ。この、ナチス時代をうまく潜り抜け、戦後西ドイツの保守的な界隈で大きな名声を手に入れたハイリガーの作品を見ると、どうしてもハンナ・アーレント的な意味での「凡庸さ」という言葉が頭に浮かんでしまう。いや、これは私の先入観かもしれない。また後日ゆっくりと彼の作品を見てみたい。


展覧会情報
展覧会名:Erich Buchholz "Die Kunstgeschichte ist eine einzige Fälschung."
場所:Kunsthaus Dahlem/ベルリン(カフェもおすすめ)
期間:2022年11月26日〜2023年4月2日
美術館ウェブサイト:Kunsthaus Dahlem

画像出典(Image sources)
Header: Kunsthaus Dahlem, photographed by the author
① Kunsthaus Dahlem, photographed by the author
② "Modell des Broker-Ateliers von Hans Freese, 1940. in: Die Baukunst 4 (1940)", from the panel in the museum
③ Brücke Museum, photographed by the author
④ Kunsthaus Dahlem, photographed by the author
⑤ "Nachbau des Berliner Ateliers von Erich Buchholz im Kunsthaus Dahlem", photographed by the author
⑥ "Erich Buchholz, Das jüngste Gesicht, 1920/21", photographed by the author
⑦ "Erich Buchholz, Aufgeschlagenes Buch, 1922", photographed by the author
⑧ "Erich Buchholz, Kiosk mit Lichtreklame. MUSKO, 1923", photographed by the author
⑨ "Erich Buchholz, Das Ei-Haus, 1957", photographed by the author
⑩ "Erich Buchholz, 1971, from the exhibition brochure

参考
田野大輔『古典的近代の復権——ナチズムの文化政策について』2004年

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