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ブラックな教育現場で働く夫とその妻の独り言②~授業における教員の自由裁量~

9月に「ブラックな教育現場で働く夫とその妻の独り言①~日本語学校と比較して見た(授業コマ数)~」を書きました。

ありがたいことに、多くの方に読んでいただき、コメントもいただき、あれから夫もいろいろと耐えながら現在も中学校で教えています。

しかし!

最近めちゃくちゃイライラして帰ってくることがありました。

その話を聞いて私も「は!?(怒)」ってなりました。

今日はその話を少ししたいと思います。

独り言なので、ちょっと口が悪くなるかもしれません・・・。

気分を悪くしてしまったらすみません((+_+))

あ、あと、

①では次回「常勤講師と非常勤講師」について書く、と言っていましたが、今回は別の内容になっています。

「常勤講師と非常勤講師」についてはまたの機会に書きたいと思います。

こんなことがありました

まず、どんなことがあったか簡単に言うと、

校長先生から授業について

「この教え方ではだめ。今後は授業で使用しているワークシートを作成したら、同じ教科の別の先生にチェックしてもらいなさい。」

ということを言われたそうです。

パッと見、新人教員に対してはよくありそうなことですが、この発言に至るまでの出来事がなんとも理不尽というか、納得がいかないものだったらしく・・・。

校長先生から、

・授業の一部だけを見て判断し、授業作成者(夫)に言われた。
・授業作成者(夫)の意図も聞かず、一方的に言われた。
・校長先生の担当教科は授業作成者(夫)と異なる。全くの別分野。

このような背景があってのあの発言。

うーん。

私もこれを聞いて納得できませんでした。

新人教員と言っても、プライドはあるし、一生懸命考えて作っているのにこのような判断をされてるのは非常に悔しくなります。

これから教える内容の先を見越して作ったものなのに、たまたま、数十分程度授業を見ただけで、あなたの教え方は良くない、と決めつけてしまうのはいかがなものでしょうか。

教員は自由に授業ができないのか

そこで、私が考えたことが「教員は自由に授業ができないのか」ということについてです。

①チームティーチングの場合

学校によって、指導方針は異なると思いますが、私の日本語学校に勤めていたときの経験をお話します。

私の学校では初級クラスはチームティーチング(複数の先生で1冊の教科書を教える)という形態をとっていたので、ある程度教え方の統一が必要でした。

先生によって、言っていることが違うと学習者も混乱してしまいますからね。

具体的にどういう内容だったかというと、

・活用形の言い方の統一:全部「~形」で言う。
 例:可能形、受身形、使役形、尊敬形
→教科書によって言い方が様々です。私の学校で使っていた『みんなの日本語』では教科書には「可能」「受身」「使役」と書かれていますが、私の学校では「~形」で統一していました。統一しないといけない理由についてですが、可能形も受身形も使役形も活用して「普通形(例:食べる、食べた、食べない、食べなかった)」を作ることができるので「可能動詞」「受身動詞」「使役動詞」と言ったほうが正しい、という考えもあるからです。先生によってはこれまで教えてきた学校では言い方が違うこともあるので、教員間で言い方をそろえようということになり、言い方を統一していました。

・絵カードは基本的に『みんなの日本語の絵カード』を使う。
→私の学校では語彙導入の時間では『みんなの日本語の絵カード』を使用していました。例えば「食べます」を『みんなの日本語の絵カード』で導入したとします。その後、別の機会に「食べます」の絵カードを見せたかったら、語彙導入で使った『みんなの日本語の絵カード』を使うようにしていました。先生個人が準備したオリジナルの絵カードでもいいのですが、学生が先生ごとに違う「食べます」を見せるよりは、同じ絵カードを使っていたほうが記憶に定着しやすいだろう、という考えのもとそういう流れになっていました。ただ、実際は『みんなの日本語の絵カード』だけでは例文にあった絵カードを使うことは難しいので、できるだけ使いましょう、みたいな感じでした。

・『みんなの日本語』練習Bはノートに答えを書かせる
→これも学校によって異なるそうです。練習Bは文型の基本練習の箇所になるのですが、この練習を口頭練習で終わらせるか、それとも口頭練習後に答えをノートに書かせるか、学校の方針が分かれるそうです。私の学校では書く時間を取ったほうが、「日本語を書く」ということで文字指導(ひらがなや漢字の書き方等)にもつながるし、記憶にも定着しやすいだろう、ということでいつも授業時間内に書かせていました。そして、ノートに書いたものを1人ひとりに当てて黒板に書いてもらっていました。

ざっとこんな感じですね。

たしか他にもあった気がしますが、例はこのくらいで。

このようにチームティーチングで教える際はある程度の教え方の統一、先生の教え方を制限することは必要だと思います。

この教え方の方針はしっかり教員間で話し合いをして決めました。

誰かが一方的に決めたことではなく、教員全員で納得した上で進めていました。

もしかしたら納得していない先生もいたかもしれませんが・・・。

②一人の先生が1クラスを教える場合

日本語学校でも、公立の学校でもこのパターンが多いと思います。

チームティーチングではなく、一人の先生が1クラスを最初から最後まで教える場合は、チームティーチングとは考え方が異なります。

一人の先生が指導計画からテスト作成まで全部行い、その教科の責任を持つことになります。

私も中級クラスを教えるときは一人で1クラスを持つことになりました。

自分がこの教科書を1冊責任をもって教えるのか・・・と考えると少し怖い、責任重大だ・・・、と最初は思いました。

反対に、自分の裁量で進めることができるので、他の先生に迷惑をかけなくて済む、という点では気持ちが楽でした。

また、オンラインで日本語を教えるとなると完全に自由にできます。

学校の方針もないし、他の先生の考えもないし。

気が楽です。その分責任重大です。

話が少しそれましたが、一人の先生が1クラスを教える場合は、学校全体の指導方針があればそれに従った上で、自由に授業ができて当然だと思います。

教員一人一人の権利です。

今回の出来事の場合

さて、今回の夫の出来事について考えてみます。

夫の場合は、そもそもチームティーチング制ではなく、1つのクラスを1人の先生が教えていますし、同じ教科の別の先生からも「自由にやっていい」と言われていて、これまでやってきたそうです。

それなのに、今回校長先生にあのように判断されてしまい、めちゃくちゃへこんでいました。

そして、イライラしていました。

悔しかったと思います。

一生懸命作ったのにいつもダメ出し。認められない。

確かに私も同じ立場だったら、イラッとしますし、なんで??ってなると思います。

そもそも、年度開始の時点で「新人教員は同じ教科の別の先生に教案やワークシートをチェックしてもらってから、授業に臨むこと」みたいに、最初から決まっていればいいのですが、今回はいきなり言われて。

それも一方的に。

そして担当教科違うし・・・。

同じ教科の先生から言われるならまだわかるけどねえ。

新人教員に対してといえども、ちょっと失礼すぎませんか。

ただの弱い者いじめにしか見えないのですが・・・。

昨日も睡眠時間3時間ぐらいで、ワークシート直して、朝真っ暗な中、学校へ行きましたよ。

見てて、つらい・・・。

部下を指導する立場になるのなら・・・

学校の先生に限ったことではありませんが、どうして上の立場になればなるほど、上から目線になるのでしょうか。

相手の話を聞かないで、一歩的に決めつけてしまうのでしょうか。

教員の話に戻りますが、

授業作成者の意図(どうしてこの教え方にしようと思ったか)を聞かずに、判断するのは良くないと思います。

部下(新人教員)の授業指導をするなら、その先生の指導方針を十分に尊重して、必要最低限の部分について具体例を挙げて指摘するべきだと思います。

ただ「これがダメ」ではなく、どうしてダメなのか、他にどんな教え方があるのか、など。

アドバイスするならアドバイスする側も具体的な考えをもって、指導してほしいです。

そして、相手の立場に立って物事をもっと考えてほしいですね。

私が今後、後輩の先生を指導する機会ができたら、後輩の先生の意見をしっかり聞いた上で、指導していきたいと思いました。

どうやったらもっといい授業になるのか。

学習者に伝わるのか。理解してもらえるのか。

一緒に考えたいです。


ということで、長い独り言になってしまいました。

やっぱり先生って大変ですね。

今日は何事もなく、帰ってくるといいなあ~・・・。






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