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『HSP』に僕を語る力は無い


最近noteを始めた僕は#自己紹介 のタグで検索をかけ、いろんな人の自己紹介、というよりも自叙伝の方がしっくりくる、を読んでいて『HSP』という、聞き馴染みのない単語に興味を持った。

調べてみると、

「ひといちばい繊細な人」- https://www.shinjuku-stress.com/column/psychosomatic/hsp/

という意味らしい。それから、「HSPの特徴」というものにも目を通してみると、「ふむふむ、どうやらこれを書いた人は僕を観察して僕の代わりに紹介文を書いてくれていたらしい」。と思った。しかしこれは、僕について書かれたページではないらしい。なぜわかったかというと、僕の好きな音楽や、好きな人についての情報が全く書かれていなかったからだ。他にも抜けていることがたくさん。僕のことを全く書ききれていない。


■ ■ ■


このサイトでは自分がHSPである可能性を診断できるらしいので試しにやってみた。

おお、高い。マイナスからのスタートだとよくわからないが、あともう少しで満点だ。どうせなら満点がよかったが、高いからといって褒められるものではないだろう。そしてスコアが高すぎたのか、補足の文がわざとらしいというほど宥めてくる。こういう診断を作る人はいろんな人の気持ちを想像していて大変そうだな。と思った。めんどくさがり屋の僕にはできない仕事だ。


データが1つでは自分がどの立ち位置にいるのかがよくわからない為、僕が小さい頃からよく知っている人にもこのテストを受けてもらった。姉だ。

おお、低い。低すぎる。
そしてやはりこの診断は八方美人である。HSPではない姉にまで優しい言葉をかけている。強欲だ。


ここで1つわかったことがある。

『HSP』は家庭環境とは関係がないということだ。


姉は僕と同じ家に生まれ、同じ親に育てられた。同じ保育園、小学校、中学校に通った。高校では、姉は女子校、僕は男子校に進学したため、同じ学校に通っていたわけではないが、どちらも同じくらいの偏差値の進学校に通っていた。高校卒業後、姉は現役で、僕は一年浪人した後、同レベルの大学に進学した。

僕たちが享受してきた親の愛情や教育にはほとんど差がない。
姉は文系で僕が理系であるということ以外には。

しかし、スコアには違いが表れた。
きっと先天性なのだろう。

と思ったらどうやらそうらしい。Wikipediaにもそう書いてあった。

Wikipediaを参考文献にするなと大学の教授に言われたが、論文を調べるのがめんどくさいから許せサスケ。また今度だ。


◆ ◆ ◆


『HSP』と診断された僕は、家族にその事を伝えると哀れみの目を持って接されたので、調子に乗り、HSPとはこういう感じなのだろうという想像をそのまま演じてみた。

しかしなんだか、やはり芝居は芝居であり、僕を映すにはあまりにも情報が足りない。僕の属性にHSPは含まれるかもしれないが、僕 =『HSP』ではない。

今年で23歳になる僕の心は22年間、一人で生きてきた。

そこに突然。「よお、ずっとお前のこと見てたよ」

と、言われたところで「誰やねん」である。

きっと僕がまだ幼くて、自分が周りの人と感じ方が違うと気付く前にこいつが現れていたら、僕は『HSP』とうまく付き合って生きていただろう。

ときにそれを武器に、またあるときは自分を守るための盾として使っていただろう。

でも僕の心は、22年もの間、一人で僕を支えてくれた。感性がずれてるせいで人よりも多く衝突し、たくさん泣いた。そのおかげで人一倍傷つき、強くなった。「生きるのが下手だね」なんて言われることもいまだにあるが、僕はここまで頑張ってくれた「僕」のためにも生きていかなければならない。
生きていかなければならないのに上手いも下手もあるか。


僕は今まで人よりも感受性が優れているという点においてたくさんの苦労を強いられてきたが、それもうまくかわせるようになり、やがて高い感受性は僕にとっての武器になった。

考え方が複雑で人に理解されなかった僕はたくさんの本を読むことで自分の考えを言語化する術を手に入れた。そうすることで適確に自分の言いたいことを伝えられるようになったし、難しい本だって読めるようになった。ちなみに僕はニーチェの本が好きだ。

人の本心に気付きやすい僕は上っ面の友情が嫌いだが、そのおかげで親友と呼べる人もできた。彼とはゲームを通して知り合った。

刺激に敏感で疲れやすい僕は刺激を調節する術を手に入れた。音に敏感な僕は夜、耳栓をして寝ているし、一日中耳栓をして過ごすこともある。しかし、好きな音楽を聴くときには耳から溢れるほど大きな音で外の音を遮断して自分だけの世界に潜り込む。

人混みが嫌いな僕は読書と映画鑑賞に没頭するようになり、解像度の高い世界を見ることができるようになった。世の中には知らなければ気づけないことがたくさんある。

人の言葉に傷つきやすい僕は軽率に汚い言葉を吐くのを控えるようになり、自分の言葉に重みを持たせることができるようになった。

共感能力が高い僕は相手が僕に対して感じていることに敏感で、人と会話する度に気疲れしてしまう。しかし相手の気持ちがわかるということは相手にとって言われたら嫌なこともわかるということであり、自衛の手段として使うこともできる。使うことなんて無い方がいいが。


大学生になった僕が、ほとんどの人が自分と考え方が違うことに気付くのにあまり時間はかからなかった。人と上手くやっていけないからといって悲観することはない。上っ面の人間関係は利害関係でできている。それを利用すれば生きることなんてあまり難しくはない。だがその関係を嫌う僕は全ての問題を自分一人で解決できるよう努力した。そうして手に入れた問題解決能力は就職活動において僕の最大の強みになった。

22年間、長かったが、無駄ではなかったとはっきり言える。生きるのにかなり苦労した僕が就活なんかに負けるわけないと思えたのは、僕は『僕』が人一倍頑張ってきたのを知っているから。僕は『HSP』らしいが、22年間一人で闘ってきた僕の心は『HSP』なんかで表せるほど単純で柔なものではない。

君がもし『HSP』だとしても、自分が本当はもっと出来る奴だって知っているだろう。

全く知らない人が勝手に決めた言葉に自分の心を好きにさせてはいけない。

君の個性は「持たざる者」からすれば喉から手が出るほど欲しいものだ。

なぜなら、誰よりも苦しんだ君は誰よりも輝ける力を持っているのだから。

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