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やせ我慢できたから涙ができたの話

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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!

この痛みは耐えられるけれど、という話を前回させていただきました。

痛みの感じ方は違ったりします。同じお腹が痛いといってもキミの痛さとワタシの痛さの感じ方は違います。だから、この程度の痛みならば耐えられると他人には判断できません。病気や怪我ならば程度が違うかもしれませんからその痛みがわからないと想像できると思います。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。

しかし、同じ痛みを味わえるモノがいくつかあったりします。そのひとつが注射や採血などで針を皮膚に打つ体を少し傷つけ治療や検査をする行為です。

同じ針で同じところに穴をあけますから痛みも同等だと思いますが、この痛みに耐えられずに人目をはばからずに声をだしたりあげたり刺された腕を動かせたりする人がいたりしますから、痛みの感じ方は違うことはわかります。

子どもたちはこの注射の痛みに耐えることがなかなかできませんね。声をあげ泣きじゃくる子どももいたりします。しかし、大人になるにつれて耐えられるようになってきますから、不思議です。これは慣れたのか、痛みの神経が鈍感になっていったのか。それともこの痛みはそう泣くほどの痛みではないと言う知識を手にいれたのか。

昔ならば、体育館などに集められ集団で予防接種などを受けていたりしましたから、注射が終わったクラスメイトに「痛かった?」なんてことを聞きこれから痛いことをするのだと頭に取り入れ、これは痛いことだと痛みに全集中をし、痛がっていたのだと思ったり思わなかったりします。

中には、「ぜんぜん痛くない」なんて言うクラスメイトも現れたりして、そんなクラスメイトは「やせ我慢しているのだ」と勝手に決めつけたりしていたものです。

今、思えばきっと「やせ我慢」ではなく本当に「大した痛みではない」と言うことにいち早く気がついたのだと思います。

お調子者と呼ばれるクラスメイトは「やせ我慢」をしていたのもまた事実だったりしますからね。とこれも勝手な判断ですが、言葉と顔表情とかけ離れていたり、時には涙を流しなら「痛くない」と言っている子どももいましたから、いくら子どもの観察力がないと言ってもこれは見抜けます。

そんなクラスメイトに「いや、泣いてるやん」なんてツッコミはせずにいたことと共に思い出しました。

串のまま食べる焼き鳥と串から外した焼き鳥の味の違いがわからないので、このあたりで。


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