失恋の泥に咲く花 〈ショートストーリー〉
「失恋の最中には必ず、
私の中に大きな花が咲くんだ。」
そう思いながら。
萌は走っていた。
ある時は丸ビルと新丸ビルの間を。
ある時は阿佐ヶ谷パールセンターを。
ある時は根津美術館の前を。
そして「この人!」とピンときたら、
躊躇なく話しかけた。
「せかいは何のためにあるんですか?」と。
だいたい100人くらいの人に聞いたが、
3割の人が何かの勧誘を断るみたいに
「急いでるのでー。」と答え、
3割の人が完全に萌の存在を無視し、
3割の人が顔に恐怖を浮かべて逃げた。
残りの1割の人が萌の質問を受け止めてくれたが、
答えを持っている人はいなかった。
「そんなこと考えたこともないよー。」
「うーん。難しいですね。」
「私にはわからないな。」
だいたいみんなそんなことを言っていた。
萌は不思議だった。
「せかいが一体何のためにあるのか」、
ということの答えを持たずにみんな平然と生きていることが。
萌は気持ちが悪かった。
このせかいがなんのためにあるかわからないと、
どんなつもりで生きていけばいいかわからないではないか、と。
萌は心配だった。
ある日突然、このせかいの正解が突きつけられて、
「しまった!そういうことだったのか!失敗した!」と、足元をすくわれるのではないか、と。
これは萌が子供の頃から抱いていた疑問だったが、
答えを探そうと決意したのは、
3ヶ月前に失恋したときだった。
悲しくて悲しくて体中が痛かった。
明け方の瑠璃色の空を見ながら、
スウィートなだけの世界を私にください、
と萌は願った。
そしてそのあと、まずはせかいが何のためにあるのかを調べようと決めたのだ。
大学のクラスメイト、先生、サークルの同期、地元の先輩。
萌にとって、とても賢そうに見える知り合いにはひととおり聞いてみたのだが、なぜか誰も答えを持っていなかった。
萌は愕然とした。
萌よりとても賢そうに見えるみんなが答えを持っていないのに、自分が答えを調べあげられるのだろうかと。
結局。
答えはきっと萌のテリトリーの外にあるのだ、と結論づけ、街ゆく人に聞いて回ることにしたのだ。
3ヶ月聞いて回ったが、
答えを持っている人は見つからなかった。
無視されたり逃げられたりすることに疲れ、
萌は途方に暮れ切っていた。
ある晴れた冬の宵の口。
萌はもう走ってはいなかった。
ベランダでひざを抱えて昼と夜の切れ目を見ていた。
ふと、手を繋いで歩く親子らしいふたりが目に入り、
驚きの声をあげる。
「大事な人を忘れてた!」
萌はパーカーのポケットから携帯を取り出して、
履歴をスクロールした後、携帯を耳に当てた。
「もしもし。萌?」
がしゃがしゃとした雑音といっしょに
母の声が耳に流れ込む。
「あっ。お母さん。突然変なこと聞いてごめん。
せかいって何のためにあるの?」
一息で言い切る。
一瞬の間があり、ざらざらした緊迫感が漂う。
「あんたまだそんなバカなこと考えてるの?
小さい時に答えたでしょ!
そんなもんあんたの好きなように決めなさいよ、って。」
萌は目を見開き、息を呑んだ。
「あっ。お客さん来たから切るわよ!
もうそんなこと考えてないで、ごはんちゃんと食べてあったかくして寝なさいよ!」
一息でまくしたてるように言うと、
プツッと電話が切れた。
萌はあっけにとられた後、にんまりした。
萌の中に大きな花が咲く瞬間を目撃したのだ。
いつの間にか夜が訪れた空に向かってつぶやく。
「じゃあ神様、せかいは私が笑うためにあることにします。」
おわり
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