学ぶってなんだろう。

最近問題になっている”差別”問題。#BlackLivesMetterの募金署名活動なども行われている中、この問題に目を背けてはいけないと思い、友人のnoteに書かれている和訳を読みながら勉強しております。私は構造的差別について、理解しても仕切れない点があるけれど、1つ言えることは、当たり前に生活している今が当たり前ではなく、それを作り出しているのは文化であり、歴史であり、環境であること。その1つが変化すれば当然大きな変化が起こるけれど、今を作ってきた歴史は、そう簡単には変わらないということです。

でも、私ってアメリカの歴史はもちろん、日本の歴史すらまともに知らない。やっと、今になってもっと学んでおくべきだったと後悔するほどです。でも、私が学びたい歴史って学校で教えてもらえるのかな。子どもが学びたい歴史ってなんだろう。学ぶってなんだろうと考えれば考えるほどわからなくなるし、答えなんて見つからないような気がしています。

ただ、この時代の変化とともに問題になる歴史の背景を子どもにどのように伝えて行くか。学ぶ意味をいかに子どもに伝えることができるか。GIGAスクール構想が進み始め、個別最適化で子どもがそれぞれに学びを深めていけるような時代の中「学ぶが楽しい面白い」と感じてもらえるような授業づくりがこれからの教育に求められているのかなと…。

こんなことを言っている私ですが、実は勉強は大嫌い、好きな教科は「体育」の子どもでした。そんな私が勉強って面白いと思った瞬間は、ブラジルでIB国際バカロレアを受けてからです。IBは必ず各教科「探求学習」を行わなくてはいけないカリキュラムになっていて、自分の感じた疑問などを高校生ながらに「疑問 研究 結果 考察」を含んだ2000字(日本語だと4000字になるのかな?)のレポートにまとめます。これがかなり大変なんですよね。英語が苦手な私は、そもそも言葉にして伝えるのが難しいというね。笑 

でも「探求学習」をすることで、勉強するロジックがわかるというか、日常につなげて何かを研究することで、授業で学ぶ意味がわかるようになった気がするんですよね。例えば、暗号にしか見えない公式が必要な意味とか、なんで消化の分解を知らなきゃいけないのかとか、「今までこんなの学んでも将来使わない!」と思っていたものが、公式を自分なりに生み出すことで、公式に少し親近感が湧いたり、砂糖にも種類があって分解されやすいものとされにくいものがあり、お菓子の砂糖は分解されにくいから太るのか!じゃあダイエットするときは、まずは甘いもの食べるのやめようかな。とか思えるようになったんです。学校で学ぶもの全てが人生に必要なものだなんて思わないけど、自分で何かを研究することで、この分野を学ぶ意味は…とか、実際に生活で関連できるものってないかな…とか考えられるようになって、学ぶの少しは楽しいかも!と思えるようになりました。

だからこそ、私はこの感覚を幼児教育から感じて欲しい。「なんで空って青いの?」「なんで青信号はみどりなのに青っていうの?」〇〇ちゃんに叱られる!ではないけれど、子どもの素朴な疑問って将来勉強することにすごく繋がってると思うんですよね。だからこそ、自分が将来保育者になったとき、遠い将来(私の計画的には4年後ぐらいだけど…笑)お母さんになって子どもができたときに、子どもが持った疑問を一緒に考えて、疑問を持つのって楽しい!考えるのって面白い!がその子にとっての当たり前になるお手伝いができればいいなと感じてます。

最初に触れた話とは最終的に全く別の話になってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。コロナ禍で変わりゆく社会の中、教育のあり方も良い方向に変わっていけばいいなと思う週の真ん中水曜日でした。

みなさんあと週の半分頑張りましょう。
おやすみなさい。

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