いつもありがとうございます、SAです。
先日、知人とランチをしている時に、このような言葉を言われました。
「SAはこれ食べれないもんね」
状況としては、私がとある理由で食事制限をしていて、日ごろ避けている食べ物がサイドとして出てきたので、それを知っている彼女が例の言葉を言った、という流れです。
彼女の言葉を聞いた時、私はその意味が理解できたし特別な感情は湧いてこなかったのですが、「何かが違うなぁ」と感じたので思考を整理してみました。
まず、私はわりとアレルギー体質なので(食べ物が原因のアレルギーではない)、たくさん食べる、日常的に摂取すると体調に変化が出る食材がいくつかあります。
ただ、その食材がアレルギー反応を助長していると気付いたのはつい最近なので、それまでは普通に食べていました。
そのため、食物アレルギーのような命の危険はなく、食べてもそこまでの大きな変化はないけれど、食べない方が調子がいいのでそうしています。
そう、あくまでも自分が楽な方を選択しているだけで、誰かから「食べちゃダメ!」と強制されているわけではなく、「食べられない」わけではないのです。
ここが違和感を覚えたポイントになります。
「食べられない」ことと、「食べない選択をしている」こと、私の中では大きく違うのです。
別に彼女がどう思ってこの言葉を使ったかなどはどうでもよくて、自分の中の思いと他者の認識のずれに違和感を覚えたわけですが、特定の食材を食べないと自分で決めている思いと、アレルギーがひどくなるから食べられないという思い、どちらも「食べない」という行動は同じなのですが、心持ち次第で印象がとても変わりますよね。
前者はあくまでも自分で行動を選択している主体性のある状態で、後者は体質を理由に制限を感じている受け身な状態とでも言いましょうか。
全然関係ないですが、「勉強しなさい!」と強制されるとやる気がなくなるあの現象を思い出しました(笑)
自分ではどうにもできない体質を理由に制限を感じている状態は、ある種食べないことを強制されているともいえるので、実は関係なくもないかもしれません。
日ごろから起きる現象の捉え方、ものの見方で世界は変わるな~と感じている私ですが、それを再確認する振り返りとなりました。
どうせなら自分の気持ちが楽なように考えた方が生きやすいですよね。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
たった一言でも、なにか響くものがあれば嬉しいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?