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美術館は誰のもの?(インターン12日目)

今日もルームメイトの飼っている猫に朝食をねだられつつ、インターン先のインディアナポリス美術館にバスで向かいます。

2018/06/13 スケジュール
朝9:15 開始
午前10:40 〜 11:20 版画・水彩画の収納庫へ
午後1:30 〜 2:30 キュレーターチーム全体ミーティング
午後2:30 〜 3:30 ボタニカル・ガーデンのスタッフとミーティング
午後3:30 終業

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朝は吉村孝敬の襖絵に関するリサーチの続き。孝敬の西本願寺にある雪松図の画像と、応挙の雪松図とを比較してみたり...説明文のアイディアが、まだ頭の中でまとまりません。

...そんな中、ボス(インターン先の上司)に連れられて水彩画・版画の収納庫へ。

ボスは、私が以前に説明文を書いた、中川八郎の1903年頃の水彩画「桜祭り」の実物を、棚から取り出して見せてくれました。実物を目にするのは、それが初めて。

目の前で見る実物の「桜祭り」は、写真で見るよりも、明るい印象でした。
屋台を描くのに使われている赤や水色は、輪郭が柔らかくぼやけて、春霞の中で見るような色。淡いけれど、色褪せているのでは決してない。穏やかな中にも活気のある、そんな桜祭りの空気感が、絵の中から伝わってくる。そんな作家の色遣いが、100年経った今もなお、紙の上で生きていることに、胸が熱くなりました。

けれど、世界の万人が、この絵に価値を見出すわけではない。良くも悪くもアートって、そういうものです。

お昼後に、キュレーターチームの全体ミーティングにボスと出席しました。その場にいたのは、全部で15人程度。内部事情に詳しくない私には、話している内容の半分はわからなかったけれど、politicsやパワーバランスがものすごく関係しているらしいことだけはわかりました。

ミーティング後にボスが言いました。ここ10年の間に二度、多くのスタッフがクビになったと。美術館の財政はどこも厳しいからこそ、お金を寄付してくれるドナーを含め、ファンドライジングに関わるイベントは、とても大切なものです。けれど、キュレーター部署と、ドナーを気にする立場の人との間には、どうも理解が行き届いていない、不透明な壁があるように感じます。それは、大きな美術館では、どこでも起こりうることなのかもしれません。

過去からの美術品を保存・研究して、安全に見せられる機会と場を提供すること...それが美術館の本質ですが、コミュニティが美術館に求める役割は、それだけじゃない。美術館が市民のためのものである限り、いろんな役割を互いに衝突させず、すり合わせながら、美術館は社会の中で「良き組織」であり続けることが使命なのだなあ...と感じました。

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最後に、ボタニカル・ガーデンのスタッフと、来年の2月に彼らが予定している日本の蘭の展示について、意見交換をしました。来年一年を通し、美術館は「日本」をテーマにした展示や企画をたくさん計画しています。彼らのグリーンハウスを、どう日本風に展示できるのか、地元の盆栽家・蘭愛好家の人々から蘭を借りたとして、美術館内のどこにどう展示ができそうか、など、美術館の中を歩き回りながらブレインストーミングしました。

ガーデンのスタッフである、優しいスーは、アジア美術のコレクションから、作品の画像を持ってきて、ガーデンスペースに使いたいとボスに言いました。そこでボスは私たちを、午前中に行った版画・水彩画の収納庫へ連れて行って、いくつか候補になりうる作品を、実際に手にとって見せてくれました。スーは、何年も美術館で働いているけれど、この収納庫に足を踏み入れるのは初めてだと、広い収納庫を見渡し、驚いていました。ホイッスラーの版画が保管されているスーツケースを発見して、彼女は目を輝かせました、「ここには宝物がたくさんある」と。

私も彼女と同様に思います。ここには宝物がいっぱい保管されている。学芸員や管理の人たちにとっては、見慣れてしまった光景かもしれないけれど。
ここに保管されている作品に、あまり興味や価値を見出さない人もいる。それでも、この美術館があることは、地域的にも世界的にも、多くの意味と価値がある。

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今は、産みの苦しみをしばらく味わっています。吉村孝敬の襖絵の説明書きが、なかなか書き出せない。明日にはきっと、一歩進められるかな。

読んでいただき、ありがとうございます!