「#10 明日のパンとして買われた今日のパン」
幼稚園の帰りに母とスーパーへ行くと、「ほら明日のパン選んでおいで」とよく言われた。好きなパンを選べるのは嬉しかったが、棚にたくさん陳列された「明日の」と呼ばれているパン達が可愛そうだなぁと思っていた。
チョコレートでコーティングされたり、ホイップクリームが盛られていたり、チーズやマヨネーズ、大きなソーセージまで挟まれたキラキラしたパン達の前で、「あっ、すいません今日じゃなくて明日のなんです」と申し訳ない気持で手に取っていた。
今日みたいな顔して並んでるパン達が恥ずかしいんじゃないだろうかと心配だったし、翌日テーブルに置かれた明日のパンは、昨日のパンみたいな顔でしょぼくれていた。
だから僕はなるべく朝早くに起きて、近所のパン屋に今日のパンを買いに行くようにしていた。
年齢を重ねてもその感覚は消えなかったが、僕の友人や恋人はみんな当たり前のように遊びやデートの帰りにコンビニの前で立ち止まり、「ちょっと明日のパンだけ買ってくるわ」と言って店内に消えて行くのであった。
確かにコンビニのパンなどの消費期限は常温のもので2〜3日あるし、僕の子供の頃に比べるとより徹底管理された工場で作られ、人の手に触れる機会も殆どなく袋詰めされているだろうから容易く腐敗することはないのかもしれない。
しかしパン側に立って意見を言わしてもらうなら、いやそもそも何でパン側に立つねんという疑問は一旦忘れていただき、「じゃあ今日ここに陳列されてる俺は何なん?今日の俺は無価値なん?いや明日食べても味変わらんのも分かってんねん。
俺は明日も美味しいし、君には明日も仕事や学校があって朝パンを食べて行くよ。でも、それは君が今日を生きてるからやろ。今日を放棄して明日からなんて始められへんやろ。
たとえば明日恋人は君を抱きしめてキスをするかもしらん、その感情の高まりは明日の君を見た瞬間に突如として湧きあがるもんか。
今日の君が恋しくて、でも会えへんくて、恋人が今こうしてる間にも募らせてるその想いが、明日の君を見て溢れるんや。
たとえば試合前のアップでキレのある動きをしてる選手を見た監督が、ええ動きや今日も後半の頭から行くから準備しとけよと告げる。
それを聞いてた三年のキャプテンが近寄って来て、一年でも関係なく期待してるからなスーパーサブと声をかける。
ありがたいよ、きっと全国常連の強豪サッカー部やろ。毎年色んな学校からエース級の選手が集まってくる中で一年から試合に出れる奴なんて中々おらんやろ。
けどな、別に後半から出る為にサッカーしてる訳ちゃうねん。ええ動きなら先発で使ってくれよ、期待してるか知らんけど、スーパーサブなんて勝手な名前で呼ぶんはやめてくれよ。
明日の朝の為だけにパンしてないねん!明日のパンなんて勝手な名前で俺を呼ぶなよ!」という感じではないかと思う。
明日食べるパンは必ず明日に買えとかそんなことではなく、パン的には今日がゼロになってることが嫌なのである。消費期限が三日あっても絶対に今日の俺が一番美味しいとう自負もそこにはきっとあるだろう。
だから明日のパンなんて情緒のない言葉や意識で片付けるのではなく、あなたがパンを手に取るその時に、「うわっ、これめっちゃ美味しそうやな。明日の朝食べるつもりやけど、帰って夜中とか小腹空いた時に食べちゃいそう〜」という苦悶の表情を、一瞬だけパンに見せてやってはくれないだろうか。
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