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「器に愛された店主」


 いよいよ夏本番を迎えテンションが上がる反面、若い頃のように海へ泳ぎに行ったり、大きな花火大会に行ったりする体力がなくなってきた。海に関しては単純に上半身を露わにさせることも恥ずかしい。
 そんな今の僕が夏を迎えて楽しむことと言えば、以前かっぱ橋道具街で購入したお気に入りの器でざる蕎麦を食べることである。
 数年前にざる蕎麦にハマり家でずっと食べていたのだが、せっかく高い蕎麦を買うのなら、器とかも本格的なものにして味わいたいと思ったのがきっかけで、僕はかっぱ橋道具街へ向かった。

 初めて行く道具街だったが僕はどんな場所かをYouTubeで見た程度で、当日は道具街に近い浅草周辺をらぶらぶらと散歩がてらに向かっていた。
 十七時前に道具街に到着すると休日だというのに閑散としており、なんだかイメージしていた風景と違った僕は急いでスマートフォンで「かっぱ橋道具街」と検索してみた。
 するとほとんどの店の閉店時間が十七時三十分から十八時になっており、渋谷の感覚で来てしまった僕に残された時間は最大で一時間程しかないことが判明した。これでは店を回れても二件が限界で、数え切れないほどの商店が軒を連ねる「道具街」にわざわざ足を運んだ意味が全くなくなってしまう。
 とりあえず近くにあった器屋に入ると、綺麗で細工の細かい焼き物が沢山あって一瞬で目を奪われてしまった。しかもどれも値段が安く、さらにテンションが上がった僕は一件目で三十分を使ってしまった。
 我にかえって店を出ると、先ほどまで開いていたほとんどの店のシャッターが閉まっていて、軒先に立つ店主に「ここは何時までやってますか?」と後ろから声をかけようと近づいたらシャッターを閉められたりした。

 もう終わりだよと思ってとぼとぼ歩いていると「竹、ざる」と看板に書かれた古びた商店を道路の向かいに見つけた。
 まだシャッターは閉まっておらず、僕はもうここしかないと思って小走りで信号をわたり、それこそ藁をも掴む思いで店に飛び込んだ。
 少し驚いた様子の店主に「いらっしゃい、何かお探しですか?」と聞かれ、思わず「ざる蕎麦が食べたくて」と答えてしまったが、店主は蕎麦屋に行けやとツッコむことなく丁寧に対応してくれた。
 軽すぎて安っぽい器は嫌だという僕のイメージを聞くと、店主は三日月型の焼き物の器に、サイズの合った水切りざるを乗せるというスタイルを提案してくれた。僕はそれがとても気に入り、次にめんつゆを入れる器はどうしたらいいか聞くと、そこでさっきまで優しかった店主の目つきが一変した。

「お客さん、正直ね、つゆを入れるなら竹や漆器はお勧めしないよ。
 ああいうのはね、器の中の赤色や黒色がつゆを透かして濁らせて見えるから綺麗にならないの。つゆを一番綺麗に見せるには、悪いけど瀬戸物だね。それが一番つゆが綺麗見えるんだよ」

 そもそもつゆをそんなに綺麗に見せたいという願望は持っていないし、もしかしたらなにか高い品を買わそうと思ってるのではないかと僕は少し勘ぐってしまった。
 そんな僕の表情を見た店主は慌てて、「あっ、いやいやあれだよ!瀬戸物って言ってもそんな馬鹿高い物を買う必要なんてないんだからね!お手頃なやつで!」とフォローを付け加えた。
 いや逆にめちゃくちゃ怪しいやんけと思ったが、それでも器は気に入ったのでその申し出を無下にする訳にもいかず、「とりあえずどんな感じの物があるか見るだけ見せてもらってもいいですか?」と恐る恐る聞いてみると、店主は僕の言葉を遮るようにして口を開いた。

「お客さん、うちには瀬戸物置いてないの。
 だからそこはまた違うちゃんとした焼き物屋に行って、専門の知識持ったプロに最高の器を選んでもらった方がいい」

「置いてないんかい!」と同時に「いやおっさん本物かい!」とびっくりしてしまった。
 その人は金儲けとかではなく、器に情熱と愛情を注いだ真の店主として僕に向き合ってくれていたのだ。
 それでも、せっかくなら今日揃えて帰りたいんですとお願いすると、「ちょっと待ってて」といって店主は店の奥に消えて行った。
 そこから十五分ほど待たされて、「うちにあるのならこれぐらいかなぁ〜」と首を傾げながら出してきた器は、僕がイメージしていたものと完全に合致する最高の器だった。

「あーもうこれはあれだ、この人が器を愛してるんじゃなくて、器にこの人が愛されているんだな」と考えを改めさせられた。
 ざる蕎麦を食べるうえで最高の器達を手に入れた僕は、さっそく購入した器を使いたかったのだが、一日歩き回っていたせいでめちゃくちゃ腹が減ってしまい、我慢できず帰りにこってりとした家系ラーメンを食べてしまった。

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