「ショートショート 座敷わらしの住むアパート」
住んでいたアパートが取り壊されることになった悠人が、スマートフォンで物件情報を閲覧していると、一件の古びたアパートがその目に止まった。
「緑陽荘」、このいかにも古めかしい名のアパートに悠人は見覚えがあった。すぐにスマートフォンで検索をしてみると、それは以前テレビで放送された心霊番組の中で、座敷わらしの住むアパートとして紹介された物件であった。番組の中ではラップ音や子供の笑い声などがはっきりと収録されており、悠人の記憶には印象的に残っていた。しかしその時、恐怖よりも悠人の脳裏に刻まれていたのはその部屋の住人に舞い込む幸福の数々だった。
何気なく買った宝くじが高額当選したり、急に可愛い彼女に出会ったりという話を嬉々として語る住人を見ていると、悠人は羨ましさと共に怒りがこみ上げてきた。 配送会社の倉庫で契約社員として働く自身の安月給を恨み、部屋の広さも汚さも同じようなアパートに住んでいるのに、なぜこの男だけに幸福が舞い込み、自分はなぜ毎日のように汗水垂らして働かなければいけないのかと。
掲載されている部屋番号を確認すると、それはあの座わらしが住むといわれる部屋であった。しかも今日掲載されたばかりの情報。これは何かの導きかもしれないと悠人は思った。ようやく自分にも順番が回って来たのだと急いで不動産屋に電話を入れた。緑陽荘の空きを確認した悠人は、明日の朝一番で内見の予約を取った。本当はどんな部屋であろうが契約すると決めていたが、内見もせずに決めると変な奴だと怪しまれるかもしれない。悠人は明日に備え早めに床に就いたが、これから自身に訪れるであろう幸福を想像すると興奮して一睡も出来なかった。
しかしその悠人の淡い期待は、緑陽荘のドアを開けた瞬間に脆くも崩れ去った。
不動産屋に案内された緑陽荘は、以前テレビで見たままの外観であった。悠人は前を歩く不動産屋を追い抜きそうな逸りを抑え、冷静を装いながら後を付いて歩いた。部屋の前に着くと不動産屋の男は鍵を差し込み、「ちょっとびっくりしますよぉ〜」と不敵な笑みを浮かべながらドアを開けた。我慢できずに悠人が身を乗り出して部屋の中を覗き込むと、そこには思いもよらぬ光景が広がっていた。
「どうですかぁ〜、まだ掲載された時は工事中だったんで写真載せられなかったんですけど、なんとこのお部屋フルリノベーション済みなんです!」
唖然とした表情を浮かべた悠人はその場で固まってしまった。サプライズが成功したと思った男は固まった悠人の手を取り、ずんずんと笑顔で部屋の中に招き入れた。ただ部屋が綺麗になっていただけなら悠人もここまで驚かなかっただろう。
悠人の眼前に広がるその部屋は、余計な柱や部屋を仕切る壁を極力排除することにより解放感溢れる空間を作り出し、床に使われていた畳はまるで砂浜を思わせるような、淡白で美しい木目のフローリングに張り替えられていた。部屋の一番奥の壁は一面が大きな窓となっており、これでもかというほど日の光が部屋に差し込んでいる。その窓から見える、庭と呼ぶにはあまりにもお粗末で雑草だらけだったスペースには、ちょっとしたバーベキューができるであろうウッドデッキが設営されていた。
座敷わらしが住むと言われる緑陽荘101号室は、なんとアメリカ西西岸を彷彿とさせるカリフォルニアスタイルの部屋へと変貌を遂げていたのである。
明確な基準や条件を調べたわけではないが、もうこんなアメリカナイズされた部屋に座敷わらしが居るはずがないと悠人は落胆した。
「どうですかぁ、めちゃくちゃいいでしょ〜!しかも今回のリノベーションは部屋の寿命で実施したものなので、大家さんも特に賃料を上げることは考えてないということなんです!」
もうどうでもよくなった悠人は、家賃が変わらなければということでそのまま部屋の契約をした。数日後、カリフォルニアスタイルの部屋には似つかわしくない家具やベッドを運びこみ悠人の引っ越しは完了した。
大きな窓に合うカーテンが見つからず、月明かりに照らせれながら悠人が眠りに就いていると、「ケタケタケタッ」とびっくり箱から飛び出したピエロのような笑い声が部屋の中に響いた。悠人が寝ぼけながら音の聞こえた方向に視線を向けると、青い目をした金髪の小さな男の子が、デニムにボーリングシャツを着て部屋の隅に立っていた。
座敷わらしも、部屋に合わせてアメリカナイズされた姿で現れたのだ。
色々と想定外の事態は起きたが最終的には悠人の望んでいた形となり、その人生は大きく好転していくこととなる。
まず悠人が引っ越しを終えた数日後に友達とカラオケを楽しんでいると、部屋のドアがノックされ一人のスーツ姿の男が現れた。
「どうも突然すいません。私はレコード会社の社長をしている者だが、隣の部屋から偶然君の歌う声が聴こえてきてね。君は素晴らしい声を持っている、どうだろう私の元でメジャーデビューする気はないかい?」
男は悠人に名刺を渡し、いつでもいいから連絡をくれと言って部屋を出て行った。名刺には大手レコード会社の名前が書かれており、社長の顔もテレビで何度か見たことのある人物であった。学生の頃、軽音部に所属していた悠人は確かにバンドでボーカルを任されていた、しかしその歌唱力は学園祭で女子から少し騒がれる程度のもので、決してプロになれるような圧倒的な魅力はなかった。
次の日に半信半疑で名刺の番号に連絡を入れると、都内のあるレコーディングスタジオに来るよう社長に指示された。悠人がスタジオに着くと社長は笑顔でハグをした後、そのまま肩を抱きながら3階にあるレコーディングブースに悠人を押し込んだ。
長髪にサングラスをかけた黒ずくめの男が、いかにもプロデューサーという風体でガラス越しに立つ悠人に指示を出す。
「おい、坊主、さっきお前が得意だって言ってた曲を流してやるから歌ってみろ」
心の準備をする間も無く前奏は流れ始め、悠人は溺れて水面から顔を出すように、マイクの前で必死に口をパクパクと動かした。自分の声がちゃんと出ているかも分からず気づけば曲は終わっていて、顔を上げるとプロデューサーの男はサングラスを外し涙を拭っていた。
いつかこういう日が来ると思っていたと、プロデューサーの長年誰にも提供せずに温めていた曲が、悠人のデビュー曲として決まった。翌日からレコーディングは開始され、わずか一ヶ月後に悠人はメジャーデビューを飾ることとなる。
大きな期待を背にリリースされた曲は、ある程度の指示は受けたものの大ヒットと呼べるには至ってなかった。しかし、リリースから3ヶ月後に事態は大きく動き出す。なんと全米No. 1アーティストが、たまたま悠人の曲を聴き自身のSNSで紹介したことにより、悠人の歌う「ポメラニアンKISS」が世界中で爆発的なヒットを記録したのだ。
「フロアチャイルド」という悠人のアーティスト名は世界中に広がり、悠人が所属する事務所には数えきれない程の仕事のオファーが舞い込んだ。
悠人のセカンドシングルには世界中から大きな期待が寄せられ、ゆえに失敗することは許されなかった。何度もミーティングが重ねられた結果、「凡人の我々がいくら話し合いを重ねても意味がない、その輝かしい才能に賭けるべきだ」と、またあの長髪のプロデューサーが叫び、作詞作曲を全て悠人が担当することになった。
悠人には一流ホテルのスイートルームが用意され、そこで曲が出来るまで作業に没頭する毎日。ギターを多少は弾けるとはいえ曲など生まれて一度も作ったことのない悠人への重圧は凄まじかった。
一行も、一節も出来ないまま時間だけが流れてゆき、疲れ切った悠人はホテルを抜け出し緑陽荘に帰った。
部屋のベッドに横たわっていた悠人はいつの間にか寝入ってしまい、微かなギターの曲で目を覚ました。
月明かりに照らされ金髪をキラキラと輝かせながら、座敷わらしが部屋の隅で悠人のギターを奏でていた。そのしらべは悠人の脳に流れ込み、あれだけ書くことの出来なかった歌詞が全身から溢れ出していく。リュックから作詞ノートを取り出すと、悠人は一気に歌詞を書き上げた。
無我夢中で書き続けていた悠人のペンが止まると、いつの間にかギターの音も座敷わらしの姿も消えていた。ギターを手に取りおもむろに悠人が弾き始めると、先ほどまでの音も、その続きもまるで知っていたかのように弾くことができた。
新曲はその一夜で完成し、放心状態の悠人は決意した。
「アメリカナイズされた座敷わらしだけあって、舞い込んでくる幸福もその規模も全てが桁違いってことかよ。いいぜ、やってやるよ。だったら俺はこのままアメリカンドリームを掴み取り、世界中の伝説となるまで高みを駆け登ってやるさ」
リリースされたセカンドシングルはファーストを凌ぐ勢いでヒットを続け、もはやフロアチャイルドの名を世界で知らぬ者はいなくなった。デビューして一年を迎えた頃には、二年かけて全世界を回るワールドツアーが敢行されることに決まった。悠人は金も名誉も手に入れ世界を駆け回り、全てが自分を中心に回っているように思えた。曲や歌詞は悠人の中から溢れ続け、世界の一流ホテルで毎晩のように違う女を抱いた。
だが、ワールドツアーを始め一年が経過した頃から、徐々にその歯車は狂い出していく。
酷く酔っ払った悠人は女をホテルから追い返し、熱いシャワーを浴びていた。しかしいくらシャワーを浴びても悠人の震えは止まらなかった。数ヶ月前から手を出し始めたドラッグの影響か、それともドラッグに手を出すきっかけとなったスランプのせいかも分からず、混濁した意識の中でパチパチとなり響くシャワーを浴び続けた。
緑陽荘に帰ることの出来ない生活の中で、悠人はもう新曲を作ることが出来なくなっていた。あれだけ溢れていた曲のイメージが全く湧いてこなくなり、マネージャーや信頼できるスタッフに相談しても、「とりあえずこの一年を乗り切ればいい。別になんだっていいんだ。お前が歌いさえすればそれでいいんだ。たとえそれがどんな歌であろうと、お前が歌えば世界中の人間が拍手を送るさ」と、言われるだけだった。
ワールドツアーを終えた悠人は肉体的も精神的にもボロボロになっていた。それでも緑陽荘に帰ることさえで出来ればまた本来の自分に戻れると信じ、悠人は最後まで走り抜けた。特別に一週間の休みを貰った悠人は、どこにも行かずに緑陽荘で待ち続けた。しかしいくら待ち続けても二度と悠人の前に座敷わらしが現れることはなく、代わりに大きな鎌を持った死神が、夜になるとずっと悠人を見下ろすようになった。
悠人は悟った、もう自分は座敷わらしに見捨てられたのだと。舞い込む幸福にただ身を委ね、流され続けていただけのどうしようもない自分など、今の姿がおあつらえ向きだと。
久しぶりの日本公演で、最初の曲が始まっても悠人は歌い出すことなくマイクの前に突っ立ていた。最初は天才的な悠人独特のアレンジだろうと見ていた観客達も、あまりにも生気なく立ち尽くす悠人の姿にざわつき始めた。
悠人は満員の会場を一度見渡すとゆっくりと口をひらいた。
「俺はずっと幸せになる方法を探していたんだ。それさえ見つけることができれば人生は完全なものになると信じていた。でもいくら金を手に入れても俺の人生が豊かになることは無かった。ただ欲を満たしていくだけの毎日は幸福に向かうことなんてなく、先細って行く恐怖に震えるだけだったよ。
現状に満足しろって言ってるんじゃない。でも掴み取れば幸せになれるってことでもないんだ。どんなに貧しくても幸福を感じて生きていける人間はいるし、どんなに金を持っていても不幸で哀れな人間もいる。
いい女を抱いたから満たされるんじゃない、愛する女を抱くから満たされるんだ。どんな現状だろうと生きてることに感謝して、その毎日の中で細やかな幸福を見つけることができない馬鹿が、なにを手にしてたって意味がねんーんだよ!」
そう叫んだ瞬間の悠人は倒れ込み、そのまま悠人は救急車で緊急搬送された。
死因はドラッグの過剰摂取によるものであり、悠人の最後の言葉とそのライブは世界中で大ニュースとなった。その訃報を耳にしたある者は泣き崩れ、ある者は立ち上がり、ある者は暴動を起こし、ある者は争いをやめた。世界中の空を悠人の歌が昇ってゆき、歴史に刻まれたフロアーチャイルドという名のアーティストは、伝説として生き続けることとなった。
青い目をした金髪の男の子が、悠人の乗った救急車を笑顔で見送っていた。
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