モトスエ ノボル

アウトプットをつらつらします。

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最近の記事

ジコケイハツノホン

書店のおすすめコーナーには多くの自己啓発本が並ぶ。こんなマインドセットが人生には必要、こんな生き方が大切、人生にイノベーションを起こそう、嫌われる勇気を持とうなど。 本を書いてる方々は自分が到底及ぶことのできない素晴らしい方々であることが多いし、本自体も非常に論理性が通っているかもしれない 書店のコーナーに自己啓発本が多く並ぶのはこれらの本が売れているからであり、売れているのはこの類の本が面白いとされているからだ。 他人の特別を読んで、他人の成功体験を読んで、困難を打ち

    • ヒトのレキシ

      虚構を想像上の現実と信じることができるから、人間はこれほどまでに繁栄することができたと言われてる。 この文を見たときに最初は本当に意味不明であった。今目の前の現実を作為的な現実と見ることは不可能だと考えたからである。 しかし、今の自分がどのように出来上がったを考え、どんどん追求していくとむしろその通りではないかと考えるようになった。 今の自分は幼いことから様々な環境の中で多様な人々と出会い影響受けて自分なりの価値観というものが生まれてくる。そして、自分に影響を与えた人も

      • セイコウ

        私は努力している、ないし私は頑張っていると思いながらやってきたことはみんな失敗してきた。 努力や頑張りは結果につながる必要条件ではあるけれども、それらから得られる満足感は本質的に結果とリンクしないということをよく実感している。 一時間頑張った、三時間も頑張った、一日しか努力していない。重要なのはそこではなくて、それがきちんと結果を引き寄せているのかをしっかり見極めなければならない。 しかし、その見極め、つまり自分に対する客観視は困難を極める。何を頑張ってきたのではなく、

        • レキシ

          私は歴史に興味が全くなかった。理由は、単純明快。歴史を学ぶなんて意味がないと思っていたからである。インターネットもスマホもない時代を知って現在に何の恩恵がある?そんな疑問のわだかまりは私の心の中に住み着き、私もこいつを迎合していた。 高校時代では、出来るだけ歴史の勉強を避けた。世界史も日本史も勉強していない。地理にも少し歴史的要素はあるが、それらは現在と近いこともあり、現在とつながっている感じがして、学ぶ意義があると思っていた。 子供の頃から外国に憧れていた。ヨーロッパは

          キタイ

          私は、期待なんてしない。期待とは、一種の傲慢であり、停滞であり、諦観であるからである。先を行く自転車を追い越すような、くだらない見栄であるが、この定義に全て二字熟語を使ってカッコつけてみたけれど、これは作家の常套手段だ。簡単なことを分かりにくく伝える。私はそんな回り道を歩くことは意義あることだと思っている。分かっていないことを分かっていると錯覚するのは、自分に期待しているからで、そこには分かっているという傲慢さがある。そんな傲慢にいつか必ず足元を掬われる。だからこそ、回り道で

          やらない善よりやる偽善?

          二酸化炭素を30%offしてこの製品は作られています。この工場では、二酸化炭素の削減に取り組んでいます。現在では当たり前になった地球温暖化の取り組みが本質的には、地球温暖化への取り組みになっていないと考えられる。理由として、各企業が行う地球温暖化への取り組みのほとんどが地球温暖化の解決として取り組みを進めているのではなく、企業のイメージアップに繋がるためにやっているからである。地球温暖化への取り組みを行わないこと自体がリスクになっているのである。消費者側も、地球に優しい製品を

          やらない善よりやる偽善?

          ジョウホウ

          人として避けられないことがある。それは初対面である。インターネットが高度に発達した世界では、回避可能かも知れないが、そこは一旦頭の中から外して欲しい。これを経験してこなかった人などいないはずである。私は20年以上、人として生きてきたけれどもこればかりはいつまでも慣れないものである。初対面では、100%見た目である。それに加え、視覚情報が9割を占めるため、嗅覚ないし聴覚などの他の感覚で他人を判断できないことは100も承知である。しかし、少し話し出せば、状況がかなり一転することが

          タイフウ

          台風。よく学校を休校にさせるあいつ。でも、休校にはなったけれども、その必要があったのかどうかと疑うくらい雨も風もなく、点描画で描いたような雲が、頭から降り注ぐ太陽の光に耐えきれずに光を漏らしてしまっている光景が頭によく浮かぶ。しかし、今日の台風は一味違うようだ。ところで、どうでもいいことかも知れないが、味覚のどこも使っていないのにこういう時に一味というのはなぜなのだろうか。漢字の意味を深く考えずに使うのだろうか。それとも味という漢字に私の知らない意味がまだあるのだろうか。知っ

          ネムレナイ

          ある眠れない夜の日のこと。人は、自由を与えられ過ぎると生活リズムが狂ってしまうものだ。人は自由の刑に晒されていると語るサルトルの言葉は、数百年たった現代でも通じるものがある。そんな偉人の言葉が頭にふと降りかかって来たかと思えば、家を後にしていた。誰もいないと想定していたが、目の前は都市高速の入り口。都会の窮屈さを思い知る。いつもは、眠れなくても頑張って寝ようと試みるのだか、今回は何となく外に出て何かしようと思ったのだ。何か得体の知れないものに頭のてっぺんの髪の毛を引っ張られる

          お客様は何様?

          「いらっしゃいませ!」 高級店はもちろんのこと、今やコンビニなどでもこの言葉が発せられ、それに対し「お客様」は何も反応をしない。なぜなら、神様だからである。わざわざもてなされてる側が挨拶する必要なんてない。来店しにやってきている。わざわざ食いにないし買いに来てやってきている。お金を払ってやっているんだから不満があれば何を言ってもいい。「ありがとうございました!またお越しくださいませ!」USENの音楽に対してわざわざ反応する必要はない。 私は今、フランスのスーパーに入ろうとして

          お客様は何様?