キタイ

私は、期待なんてしない。期待とは、一種の傲慢であり、停滞であり、諦観であるからである。先を行く自転車を追い越すような、くだらない見栄であるが、この定義に全て二字熟語を使ってカッコつけてみたけれど、これは作家の常套手段だ。簡単なことを分かりにくく伝える。私はそんな回り道を歩くことは意義あることだと思っている。分かっていないことを分かっていると錯覚するのは、自分に期待しているからで、そこには分かっているという傲慢さがある。そんな傲慢にいつか必ず足元を掬われる。だからこそ、回り道で足元に注意を払うべきなのである。急がば回れは要諦への近道だ。

未来には、無限の可能性があるとされる。特に、仮定法を使えば過去の未来である現在だって変えられる。でも、それは思考停止である。未来の可能性に想いを巡らせたところで、本当に何も変わりはしない。現在の行動が未来を造る。現在の想いは未来を創らない。
他人に期待するのは、自分がしないことの言い訳で、他人に託すための弁明だ。ことを成すことを諦めている。


だから、私は、期待しない。





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